2011年12月29日木曜日

一人になって六日

夫が帰国して六日経った。

前回の一人でマニラお留守番よりも、寂しさを感じない。「片付け」という使命があるからかしら。

食事もそれなりにちゃんと作っているし、食べているし。

でも、今日のように誰にも会わないと、一日をほとんど無言で過ごしてしまう。いくら猫に話しかけるとはいっても、やり取りがあるわけじゃないから、独り言と一緒。


「聖域無き片付け」と題して、片付けに励んでいるけれど、総量が減ったようには思えない。自分がどれだけの物を溜め込んでいるかが再確認できるだけのように思う。これでは引っ越してから泣くことになりそう。

とくに、キッチン。使わない食器が多すぎる。どれもそれなりに高価なものだから、ガレージセールで処分する気にならないし。どうしたらいいのかしら。やっぱりStorageを借りなきゃ無理かな。

明日は、キッチンの下段とマスターベッドルームの箱の中を片付ける。どの程度減るのか。

電気鍋って取っておく必要があるかしら。カセット・フーを友人に頂いてから、鍋物も焼肉もそれを使っているから、電気鍋を使わなくなった。トランスを通す必要もあるし。ただ、買い取ってくれる人がいるかどうかも疑問。なんせ100Vだから。困ったな。

私の部屋ではなんと言っても、手芸用品が場所を取っている。これも処分を考えたいと思うけれど、またいつかやりたくなったら、なんて考えちゃうと、羊毛フェルトとかも処分できない。ビーズは目が悪くなってしまって、やるのが苦痛だし。布を使ったものはまだやれるかな。ミシンを使うのは好きだし、刺繍も好き。でも、レース編みとかももうやらないかも。日本人会のハンディクラフトの会に寄付しようか。それにつぎ込んだお金が勿体ないけれど、やっていたときには必要で買い込んだものだし、充分楽しんだとは思う。娘がアメリカに行っちゃったら、暇が出来るけど、そのときにやるかどうか。

とりあえず、手芸用品は入れ物に納まったから、処分はまたじっくり考えよう。


片付けていると手が汚れるから頻繁に石鹸で洗う。そしてメイドさんがいないから、食器洗いも少量だけれど自分でやっている。そのせいか、手のひら側がまたツルツル(指紋等が消え)、乾いた感じ。こまったなぁ。引っ越したら、毎晩、夕食の後片付けをしなければならないのに。ゆううつ。

新年まであと二日。来年はどんな年になるのかしら。天変地異だけは起こらないで欲しい。娘とは離れて暮らすことになるから、何も起こらないようにと願うばかり。

この三日ばかり、ちゃんと眠れている。不眠症も終わりかけているかな。ホッ!

2011年12月24日土曜日

一人のクリスマス・イブ-片付け

やったー!と喜んでから一週間。

娘は早速帰国し、夫も今朝の便で帰国。

私は、乾燥と寒さ厳しい東京に帰ると、アトピーが悪化しそうで怖くて帰らず、一人で残って、引越しの準備に専念することにした。

専念のはずなのに、今日はまだ一つも片付けていない。こうやってネットばかり見ている。だめね。

今日、引っ越す先の計測に行って来た。イメージだけでは広さがちゃんとつかめないので、要所要所を計ってきた。計るたびにため息。特にキッチンはもう絶望的。

引っ越すことも決めたし、契約書にもサインしたし、狭い!狭い!って騒いでいてもどうしようもないのだから、あきらめて、入れ物に納まるように縮小しなければならないのよね。

とりあえず、今日は机脇においてある、小引き出し10段の整理を寝るまでにすることにする。

明日はクロゼットの中。自分のクロゼットと夫のクロゼット。


一番やらなきゃいけないのはキッチン。二箱キッチン用品が詰まっているのが納戸みたいなところにあるし、キッチン内のクロゼット上下にも詰まっている。その中身を点検し、①今使う、②日本で使う、に当てはまらない物は思い切って処分しよう。持っていても仕方ない。


今年の私にはクリスマスもお正月もない。引っ越してからすっきり住みたいから、今時間のあるうちにやるべし。

日本人会から「断舎離」と「人生がときめく片付けの魔法」の本を借りてきた。中身は読んだことがあるけど、とにかく迷ったり、ひよったりしたときに、自分を鼓舞するために。


2011年12月17日土曜日

やったぁ!

合格した。

Liberal Artsの難関校の一つ、ミドルベリー・カレッジ(Middlebury College)に娘が合格!

なんだか、信じられない!


やっぱりパパ(私の父)が応援してくれたから?


なにより、娘がいろいろとがんばったからだと思う。SATもCritical Reading以外はとてもいいスコアを出したし。成績もよかったし、スポーツもやったし。

あぁ、よかった。

娘はよっぽど嬉しかったのか、家中を飛び回っていた。


もし、不合格、もしくは補欠だと、1月の初めまでに他の7校に願書を出さなければならない。エッセイを書き上げ、SAT他のスコアを送り、そして、4月初めに結果が出るまでの悶々とした日々を過ごすことになるはずだった。


今は、そんな心配から解放され、晴れ晴れとした気分。


不眠症からも解放されるだろう。



2011年12月16日金曜日

あと一日

明日の夜9時に、娘のEDの結果が発表されるらしい。アメリカ東海岸時間の朝9時。
つまり今から24時間後。

とても緊張していて、私は夜中に目が覚めるし、娘も何も手につかないようだ。どうせ何も出来ないなら、部屋の片付けでもしたら?と言ったら、「それも出来ない、頭を使わずに時間が過ぎて行くことって何かない?」と言う始末。

夫もやっぱり緊張しているみたい。あと24時間だねぇと口にしていた。

この緊張と混乱の最中、夫は昇進したようだ。役職は変わらないけれど、レベルが上がり、お給料が上がったらしい。私が娘の大学進学が心配で混乱している中で、彼は着々と仕事をしていたということ。おめでとうございます!と心からお祝いの言葉。明日もこの言葉が言えるといいんだけれど。

明日12月17日は亡き父のお誕生日。だから、父が応援していてくれるような気がして、実はとてもラッキーな日のように思っているんだけれど、あまりにも勝手かな。生きていれば、父は81歳になって、きっと二人目の孫の受験を心配してくれていたに違いない。「優秀なパパの血を引き継ぐ孫だから、きっと大丈夫よ、パパ」って私は言っているかも。

とにかく、もう心配で、今晩もまたよく眠れないかも。

2011年12月11日日曜日

受験生の母の不眠症

はぁ、この頃よく眠れない。

寝つきはとてもいい。本を読んでいると、程よい時間で眠くなり、すっーと寝付いてしまっているようだ。

問題は夜中に目が覚めたときに、眠りに戻れないこと。

元々、私は朝まで目覚めないで眠れる性質ではない。夜中に何回かぼんやりと目が覚める。で、お手洗いに行ったり、寝返りを打ったり、時計で時間を確認したりして、今まではそのまままた寝付いてしまっていた。

ところが、ここ一週間ほど、それが出来ない。目が覚めてしまう。「あぁ、いけない、眠りに戻らなければ!」なんて、考えてしまったら、もうアウト!目がどんどん冴えてきて、眠れなくて悶々とすることになる。

娘のEDの結果発表が近づいているからか。それに加えて、引越しの件が気になるからか。

とにかく、トータルで寝ている時間が短いので、昼間がつらい。頭がボーっとしている。運転するのが怖くなる。昼寝も必要になってきて、20分のタイマーをかけて、バタンキュー。

イントラムーロス、朝の散歩


朝7時に家を出て、マニラの歴史地区イントラムーロスを散歩してきた。

先日、母達を連れて来た時に、ちょっといい雰囲気のところがあって、歩いて見たいねと夫と話していたので、早速行ってみた。

7時半頃だと交通量もさそほどではなく、車もすんなり停められ、このところ曇りがちだから歩くのには最適だった。壁の上を歩けるところが何箇所かあり、その上に上ったり、壁に沿って歩いたり。



物売りもやって来ず、散歩する人たちに混じって2~3km歩いた。万歩計の数字は2500歩くらい。

第二次大戦中に破壊されているので、修復されているが、古そうな建物がいくつかあり、在比14年目にして初めて目にし、感動。でも、ほとんどがスペイン時代の建物ゆえ、フィリピン人の歴史と言うより、侵略者の歴史。それゆえなのか、もともと関心がないのか、マニラ観光の目玉になりそうなのに、整備・宣伝は今ひとつ。




イントラムーロス内の北方にある要塞自体は何度も行っているし、日本軍が占領し捕虜を閉じ込めたりした場所でもあるので、訪れてもいい気分がしないので、今回は行かなかった。物売りに取り囲まれるのも気分が悪いし。

帰りに、由緒正しいマニラ・ホテルで朝食。日本のGHQのトップだったマッカーサー将軍が育ち、大人になって戻ってきたときに滞在したホテル。

重厚なシャンデリアが並び、最近のホテルにはない重々しいロビーだった。

驚いたのは、次から次へと出てくる宿泊者の大半が韓国人。ラウンジでコーヒーを飲んでいたとき、聞こえたのは韓国語だけだった。日本の団体客はもうマニラ・ホテルには泊まらず、商業地区マカティにある近代的ホテル(ペニンシュラとかシャングリラ)を好む。でも、エキゾチックさや旅行気分を高めたかったら、古くて、不便な場所にあっても、こういう重厚なホテルがいいのかもしれない。

2011年12月10日土曜日

またまた合格

今日になって、娘の友人たちが続々EDで合格。

スタンフォード大、ダートマス大、ペンシルバニア大、ノースウエスタン大。

スタンフォード大に受かった子は去年、お姉さんも同大に合格し入学した。その上のお姉さんも同大学。三番目の彼女には相当なプレッシャーがかかっていたと思うけれど、お見事!

ダートマス大に受かった子は、9年生の終わりくらいに日本の神戸のインターに転校していったニュージーランド出身の男の子。アメリカの大学に進むと聞いて、ちょっとびっくり。てっきりNZかオーストラリアだと思っていた。

あとに続けるといいなぁ。

2011年12月9日金曜日

ED、コロンビア大発表

韓国人の友人のお嬢さん(娘の友だち)がコロンビア大に合格!娘のサマーキャンプの時の友人も合格したそうだ。

はぁ、結果が良好でもう発表になって、ちょっとうらやましい。

娘のEDの結果はあと一週間ほど。

2011年12月8日木曜日

数字

友人から教わった。漢数字にここまであるなんて。

知らなかった漢字での数の書き方。

大数 一、十、百、千、万、億、兆、京、垓、𥝱(秭)、穣、溝、澗、正、載、極、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数(計21単位) 

小数 分、厘、毛、糸、忽、微、繊、沙、塵、埃、渺、漠、模糊、逡巡、須臾、瞬息、弾指、刹那、六徳、虚空、清浄、阿頼耶、阿摩羅、涅槃寂静(計24単位)




大数のほうの、不可思議とか無量大数とか、結構おかしい。もう大きすぎてわからないって感じ。

少数のほうの、虚空とか清浄あたりも、そんな小さいことにこだわらずって感じがします。そして涅槃寂静、これもいいですね。


嵐の後も忙しい。ガレージセール、引越しの準備

嵐のようにやってきて、嵐のようにあっという間に母は帰って行った。

正直なところ、とても疲れた。特に我家にお友達を連れて移ってきてからの五日間。

普段、在宅時は静かに過ごしていて、こうやってPCに向かっていたり、お菓子作りをのんびりとやっている私。母がくると、ずっと話し相手をしなければならないのがとても憂うつ。それを解消するために、「お友だちと一緒に残ったら?」と母に提案してしてしまった。

一緒に残ったお友達はとてもいい方だった。自己主張されないので、母の行きたいところに一緒に行き、母の食べたい物を食べ、母の買い物にも付合い、というとんでもない日々を送らせてしまった。本当に楽しんでいただけたのかは疑問。でも、「日本と違う面を一杯見られて、楽しかった」とおっしゃってくれた。

さて、月曜日の母の帰国後、私は大忙し。

翌日火曜日から娘が学校主催のボランティア旅行に出てしまったので、水曜日のガレージセールの準備に追われた。

急に2月に引っ越すことが決まり、この際だから目一杯ガレージセールに出そうと、家中から集めたけれど、値付けに時間がかかって、出したいだけ出すことは出来なかった。

それでも、車で二回運ぶほどの量を出し、多少売れ残ったものの、売り上げも9,400ペソ(200ドル)を超えた。売り上げナンバーワン!

引っ越す先は今のコンドの半分の大きさ。収納は多分1/3の大きさ。とにかくたくさん処分しなければならない。まだまだ思い切って処分していないので、あと2ヶ月でなんとか気持ちの整理をして処分しなければ。

キッチン用品(食器を含む)が大量にある。そして私自身のこだわりの物、娘との思い出の品。洋服はどんどん処分できるけれど、この三つのものの処分が厳しい。キッチンは1/5くらいの狭さになるし、パントリーもない。

三年後ぐらいには、日本で更にその半分くらいの面積の家に住むことになるだろうから、今から物を減らして行くのはいいことだと思う。だから、目標は今持っているものを半分にすること。できるかなぁ。