PCとネットの動きが遅いのを理由に、ぜんぜん書いてなかった。この一ヶ月の間にいろんなことが起こったというのに。
一ヶ月間に起こったこと。
まず、娘の三週間にわたったIBの試験が終了。結果は7月の上旬だから、今は終わったぁ!と喜ぶのみ。
試験の終了とともに、大学(アメリカ)へ行く前に片付けておかないといけないことを一つ一つ。
1.健康診断&予防接種---漏れがないつもりで居たのに、罹り付けのアメリカ人の小児科医に行ったら、立て続けに二本注射され、ツベルクリン反応の接種も。全く予想していなかった娘は注射と聞いて蒼白。でも、やるっかない。 3日後の判定でツ反は陰性。 よかった。陰性じゃなかったら、アメリカの場合は9ヶ月間薬を服用し、毎月医師による診断が必要だとか。この結核が蔓延している国で擬陽性にもならずに済んだ。やはり一般大衆とは隔絶した世界に生きているからかしら。ドライバーもいないし。
2.親知らず退治。 昨年11月に歯列矯正する前に撮ったレントゲンに写った四本の親知らず。下顎の二本はしっかり横に寝ている。レントゲン写真を持って口腔外科へ。二本ともまだ埋没しているので、切開して寝ている歯を水平に二つに切って取り出すとのこと。聞いただけでくらくらしそう。でも、きちんとリスクや痛みの強さも丁寧に説明してくれたので、この先生なら大丈夫そうと任せることにした。施術日は卒業式の翌々日の6月1日に。摘出には二本で一時間もかからなかった。先生はずっと話しながら、リラックス・ムードでやっていた。(私は待合室に。でもドアが開いているので、話は筒抜け。)
さて、摘出からもう一週間が過ぎた。まだ刺激すると出血するらしい。痛みは日曜日には痛み止め無しでも平気になったらしい。あと、右側が過敏だったらしく、麻酔を多めにしたところ、やや麻痺が残ってしまった。8月ぐらいまでには消えるだろうとのこと。親知らずを抜く際の麻酔による麻痺は日本でもよく起こることらしい。
3.運転免許取得。これは現在進行中で、長くなるのでまた別の機会に。
これら三つの準備を整えたあと、5月29日に卒業式に臨んだ。
アメリカのドラマ等で見られる卒業式に付き物の、ガウンと帽子を被って、壇上へ。一人一人名前が呼ばれ、高校のディプロマが手渡された。来賓に寄るスピーチなどはなく、オープニングの挨拶(卒業生の一人)、学校長、先生の代表、高校長、総代、だけがスピーチ。188人もいたので、さぞ時間がかかるかと思ったけれど、2時間程度で終わった。最後の帽子投げがやっぱり印象深かった。感慨深いけれど、子供の成長に感動して泣きたくなるような式ではなかった。
この卒業式のあった日の午前中に娘との葛藤がまたあったが、これはまた別の機会に。
さて、運転免許取得のための教習スケジュール以外はまったく予定のない娘。好きな時間に寝て起きる生活。宿題も提出期限もない生活が嬉しくてならないよう。大学が始まったらまた勉強に明け暮れる生活だから、まぁ、今は存分に自由な生活を楽しんで欲しい。
2012年6月8日金曜日
2012年5月5日土曜日
土曜の朝と食費
土曜の朝はいつも公園で開かれる青空市場へ、一週間分の野菜を買いに行く。引越し前は三つあった冷蔵庫が二つになってしまった今、あまり買いだめが出来ないし、面倒くさいので人参ジュースもやめてしまったこともあり、以前ほどは野菜を買いこまない。けれど、新鮮な野菜や果物が豊富だし、面白い物を見つけることもあるしで、とりあえず毎週行くことにしている。
今日の面白い物は、これ。
名前も書いてあったけれど、写真を撮ってこなかったので、分からない。とても大きなお花だった。
今日の買い物は野菜(人参、カラマンシー、ジャガイモ、カモテ、青梗菜、パコ〈青物〉、アスパラガス、スノーピー、ニンニク、パプリカ)と果物(パパイア、バナナ)、グリーク・ヨーグルト、そしてお気に入りのバタースコーンとクロワッサン。これだけ買って、2000円ちょっと。オーガニック野菜とかを買っているから、やや高めかも知れない。
ちなみに野菜はこのほか、日本野菜を毎週オーダーして届けてもらっている。生食可の卵も入れて、それが1000円くらい。そのほかに足りなくなった分をスーパーで買い足したりするので、我家の一週間の野菜代金は3000円ちょっと。このほかに肉・魚・豆腐類、飲み物〈水、ビール、牛乳、野菜ジュース等)、パン、お米などを加えた全食料品代は、今は月5万円くらい。娘がアンチ肉食を始めてから、夕食は魚と豆腐、豆などの食事にしているから、以前と比べて一万円くらい食費が下がったように思う。月5万円の食料品代は果たして高いのか安いのか。ただ、この金額を上回るくらいの外食費があるから、食費として考えると10万円を軽く超えてしまうけれど。三人家族で、熱帯暮らし。日本で暮らしていたら、どれくらいかかっていたのかしら。
今日の面白い物は、これ。
名前も書いてあったけれど、写真を撮ってこなかったので、分からない。とても大きなお花だった。
今日の買い物は野菜(人参、カラマンシー、ジャガイモ、カモテ、青梗菜、パコ〈青物〉、アスパラガス、スノーピー、ニンニク、パプリカ)と果物(パパイア、バナナ)、グリーク・ヨーグルト、そしてお気に入りのバタースコーンとクロワッサン。これだけ買って、2000円ちょっと。オーガニック野菜とかを買っているから、やや高めかも知れない。
ちなみに野菜はこのほか、日本野菜を毎週オーダーして届けてもらっている。生食可の卵も入れて、それが1000円くらい。そのほかに足りなくなった分をスーパーで買い足したりするので、我家の一週間の野菜代金は3000円ちょっと。このほかに肉・魚・豆腐類、飲み物〈水、ビール、牛乳、野菜ジュース等)、パン、お米などを加えた全食料品代は、今は月5万円くらい。娘がアンチ肉食を始めてから、夕食は魚と豆腐、豆などの食事にしているから、以前と比べて一万円くらい食費が下がったように思う。月5万円の食料品代は果たして高いのか安いのか。ただ、この金額を上回るくらいの外食費があるから、食費として考えると10万円を軽く超えてしまうけれど。三人家族で、熱帯暮らし。日本で暮らしていたら、どれくらいかかっていたのかしら。
2012年4月22日日曜日
あっという間に終わったKL滞在
とても楽しみにしていたKL訪問。娘の試合の応援が目的とはいえ、友人と二人旅。ちょっとわくわくしていた。
娘たちは圧勝して堂々の二位。え?圧勝して二位?と驚かれるかもしれないが、なんせ一位は通年を通してバドミントンを練習している台北・アメリカン・スクール(TAS)。娘の学校をはじめ他の4校も2月の半ばからチームとしての練習を始めているから、太刀打ちできない。
娘たちのチーム(ISM)は他の四校との試合はかなり楽勝だった。2ダブルスと3シングルス、合計5試合をして勝敗を決める。このほかに勝敗には数えられない補欠の試合が一試合。ISMはTAS以外にはほとんど5-0(6-0)もしくは4-1(5-1)ぐらいで勝った。TASも同じような勝ち方。TASに対してはボロ負け。最後の優勝決定戦ではISMのセカンド・ダブルスがTASに対して勝った。TASに対して勝った試合はこれだけ。
娘はファースト・ダブルスだった。ペアの相手は5年生くらいから一緒にバドミントンを楽しんできた仲。相性抜群だったらしい。去年も娘はファースト・ダブルスだったが、去年はペアの相手がとても上手な子で娘は付け足しのように動いていた。それが今年は二人のバランス、強弱がとてもよく、ダブルスの試合の面白さがよく現れた試合だった。
ISMは男女ともに大きな怪我もなくて安心した。試合中に怪我(捻挫)し、悔し泣きしている子もいた。TASのファースト・シングルスの男の子も優勝決定戦の最後に捻挫。でも、彼は戦い抜いて勝利を手にした。その姿に会場の皆が感動。
さて、昼間はほとんど会場となったISKLにいたが、朝や夜にはちょこっとでかけられた。
朝はホテルでは朝食を取らず、大通りを渡って、庶民的なインド系の食堂でRotiにカレー・ソースをつけて食べる毎日。Rotiもソースもこってりしているから、お昼までお腹がすかないほど。
夜はペトロナス・タワー内のショッピングモールやパビリオンという最新モールのフードコートで娘たちチームと食事をしたりして過ごした。ショッピングモール内に入っているお店はフィリピンでなじみの物ばかりだし、高級モールだから特に気を引くものはなかったけれど、伊勢丹の地下など食材が豊富で、マニラ持って帰りたいくらいだった。
友人と私はKLに到着した際にUS100ドルをマレーシアの通貨リンギットに交換しただけで、結局それを使い切って、おしまい。5日間で100ドルしか使わなかった。なんとも吝嗇。
今回の応援旅行での反省点は、娘を構いすぎたこと。もっと応援だけに徹すればよかった。そのつもりでいたけれど、友人がお嬢さんを構うのに引きずられる形になり、せっかく応援に来ているのにもっと何かしてあげたほうがいいのでは?と思うようになって、いろいろ世話を焼いてしまった。挙句、娘に嫌われ、KL滞在中はほとんど口を聞いてもらえなかった。娘の機嫌はマニラの空港から迎えの車に乗ったら直ったけれど、いやな思いをさせたことに違いはない。もうこんな機会はないけれど、今後は気をつけよう。
娘たちは圧勝して堂々の二位。え?圧勝して二位?と驚かれるかもしれないが、なんせ一位は通年を通してバドミントンを練習している台北・アメリカン・スクール(TAS)。娘の学校をはじめ他の4校も2月の半ばからチームとしての練習を始めているから、太刀打ちできない。
娘たちのチーム(ISM)は他の四校との試合はかなり楽勝だった。2ダブルスと3シングルス、合計5試合をして勝敗を決める。このほかに勝敗には数えられない補欠の試合が一試合。ISMはTAS以外にはほとんど5-0(6-0)もしくは4-1(5-1)ぐらいで勝った。TASも同じような勝ち方。TASに対してはボロ負け。最後の優勝決定戦ではISMのセカンド・ダブルスがTASに対して勝った。TASに対して勝った試合はこれだけ。
娘はファースト・ダブルスだった。ペアの相手は5年生くらいから一緒にバドミントンを楽しんできた仲。相性抜群だったらしい。去年も娘はファースト・ダブルスだったが、去年はペアの相手がとても上手な子で娘は付け足しのように動いていた。それが今年は二人のバランス、強弱がとてもよく、ダブルスの試合の面白さがよく現れた試合だった。
ISMは男女ともに大きな怪我もなくて安心した。試合中に怪我(捻挫)し、悔し泣きしている子もいた。TASのファースト・シングルスの男の子も優勝決定戦の最後に捻挫。でも、彼は戦い抜いて勝利を手にした。その姿に会場の皆が感動。
さて、昼間はほとんど会場となったISKLにいたが、朝や夜にはちょこっとでかけられた。
朝はホテルでは朝食を取らず、大通りを渡って、庶民的なインド系の食堂でRotiにカレー・ソースをつけて食べる毎日。Rotiもソースもこってりしているから、お昼までお腹がすかないほど。
夜はペトロナス・タワー内のショッピングモールやパビリオンという最新モールのフードコートで娘たちチームと食事をしたりして過ごした。ショッピングモール内に入っているお店はフィリピンでなじみの物ばかりだし、高級モールだから特に気を引くものはなかったけれど、伊勢丹の地下など食材が豊富で、マニラ持って帰りたいくらいだった。
友人と私はKLに到着した際にUS100ドルをマレーシアの通貨リンギットに交換しただけで、結局それを使い切って、おしまい。5日間で100ドルしか使わなかった。なんとも吝嗇。
今回の応援旅行での反省点は、娘を構いすぎたこと。もっと応援だけに徹すればよかった。そのつもりでいたけれど、友人がお嬢さんを構うのに引きずられる形になり、せっかく応援に来ているのにもっと何かしてあげたほうがいいのでは?と思うようになって、いろいろ世話を焼いてしまった。挙句、娘に嫌われ、KL滞在中はほとんど口を聞いてもらえなかった。娘の機嫌はマニラの空港から迎えの車に乗ったら直ったけれど、いやな思いをさせたことに違いはない。もうこんな機会はないけれど、今後は気をつけよう。
2012年4月10日火曜日
明日からマレーシア
明日、夕方の便でKLに。KL到着は夜10時過ぎ。空港からホテルまでどうやって行くか、同行する友人と考えていたんだけれど、余りいい方法がない。タクシーはぼったくられるそうなので、乗れない。こうやっている間にネットで検索すればいいんだけれど、なんせ落ち着かないので、こんなことしたり、Facebook覗いたりしている。
ダブルス・ペアの子が明日の学校での集合朝5時半に遅刻しそうなのを娘は心配して、今晩からそのこの家に泊まりに行くことにした。(二人で寝坊したらどうするんだろう) その子は遅刻の常習犯。娘は結構とばっちりを蒙っている。先日はマニラでの他校との試合に遅刻。迎えに来てもらうことになっていた娘は時間になっても来ないので、心配して電話したら、その電話でその子は起きたらしい。そのまま待っていたら間に合わないので、娘はまだ寝ていた夫をたたき起こして、学校に連れて行ってもらったらしい(ちなみに私はもうマーケットに買い物に出ていた)。
で、今晩、娘をその子の家に送って行くわけだけれど、最初は、夕食に出かけるから10時ごろ来てくれ、とのことだったのに、先ほど10時45分くらいにして欲しいと連絡が入ったそうだ。またもスケジュールが遅れている。その子だけでなく、家族みんながそういった時間感覚らしい。フィリピン人!
送りに行くのは、もちろん、夜は運転したくない私と夫。夫が珍しく夕食時にアルコールが入っていないので、運転を頼めたので嬉しい。この連休の間はいつも私が夜娘を迎えに行ったりしていたから。
さて、私も明日夕方四時には家を出て、マレーシアに向かうというのに、まだぜんぜん用意が出来ていない。どうも海外に行くという感じがしない。ちょっと遠出してくるって程度。明日はいつもの手芸仲間との会に出席するつもりだし。 でも、四泊五日だから、それなりに用意しなきゃね。今晩もまたよく眠れなさそう。けど、明日はお弁当いらないとのメッセージが夫から入っていたし、娘を送る必要もないから、朝、7時まで寝てられる。嬉しい!
ダブルス・ペアの子が明日の学校での集合朝5時半に遅刻しそうなのを娘は心配して、今晩からそのこの家に泊まりに行くことにした。(二人で寝坊したらどうするんだろう) その子は遅刻の常習犯。娘は結構とばっちりを蒙っている。先日はマニラでの他校との試合に遅刻。迎えに来てもらうことになっていた娘は時間になっても来ないので、心配して電話したら、その電話でその子は起きたらしい。そのまま待っていたら間に合わないので、娘はまだ寝ていた夫をたたき起こして、学校に連れて行ってもらったらしい(ちなみに私はもうマーケットに買い物に出ていた)。
で、今晩、娘をその子の家に送って行くわけだけれど、最初は、夕食に出かけるから10時ごろ来てくれ、とのことだったのに、先ほど10時45分くらいにして欲しいと連絡が入ったそうだ。またもスケジュールが遅れている。その子だけでなく、家族みんながそういった時間感覚らしい。フィリピン人!
送りに行くのは、もちろん、夜は運転したくない私と夫。夫が珍しく夕食時にアルコールが入っていないので、運転を頼めたので嬉しい。この連休の間はいつも私が夜娘を迎えに行ったりしていたから。
さて、私も明日夕方四時には家を出て、マレーシアに向かうというのに、まだぜんぜん用意が出来ていない。どうも海外に行くという感じがしない。ちょっと遠出してくるって程度。明日はいつもの手芸仲間との会に出席するつもりだし。 でも、四泊五日だから、それなりに用意しなきゃね。今晩もまたよく眠れなさそう。けど、明日はお弁当いらないとのメッセージが夫から入っていたし、娘を送る必要もないから、朝、7時まで寝てられる。嬉しい!
2012年4月6日金曜日
Vip 待遇のER
水曜日、バドミントン・コートに娘を迎えに行ったら、右足を捻挫したと言う。びっこひきひき帰宅。なのに、お腹がすいたから、フローズン・ヨーグルトを食べたいと言い出し、隣のショッピングモールへすたすたと。ヨーグルトを食べ終え、足首用のサポーターを買いに行き、サポーターを試すため足に触ったら、顔面蒼白。激しい痛みが襲ってきたらしい。さっきまで普通に歩いていたのに、またびっこ。
医師に診てもらいたいと言い出し、急遽、St. Luke病院のコーディネーター(日本人)に連絡。翌日からイースターでほぼ4〜5連休になるわけだから、前日の夕方にまともに働いている医師もいず、救急外来以外はもう無理と言われ、救急外来に。
フィリピンでは最新の医療機器を完備しているとの謳い文句の病院。どこもかもぴっかぴか。外国人への対応もぴか一。救急に到着すると、スタッフが待機していて、私は既に記入されている書類にサインするだけ。で、すぐ救急のスタッフが現れ、血圧等の測定をし、娘を車椅子に乗せた。
行く先は、小児救急外来。ベッドのある可愛らしい柄のカーテンに囲まれた空間に案内され、すぐに小児科医が登場。とりあえずレントゲンを撮らないと分からないからと言われ、すぐレントゲン室へ。結果が出るまでまたベッドのところに戻る。その間、娘は車椅子に乗ってご機嫌。くるくる回ったり、バックしてみたり。同行してくれているスタッフが笑っていた。
結果が出て、骨には異常なし。軽い捻挫ということで、痛み止めと冷やすよう指示が出て、おしまい。
全部で一時間ちょっと。請求金額は5千円足らずだった。(うち、自己負担は20%)
小児救急で待っている間に本当の小児が数人が外来した。娘のように大きい子は来ない。17歳ゆえ、まだ小児科と言われたが、娘も私も場違いな感じで、赤ちゃん柄のカーテンを見たときは思わず笑ってしまい、写真も撮ってしまった。(なんて母親なんでしょ!)
この病院のシステムのすごいところは、緊急じゃなくても、コーディネーターに連絡して医師を照会・手配してもらうと、待ち時間ゼロ。ずっとスタッフが同行してくれて、全ての手続きを代行してくれ、薬局に薬も取りに行ってくれる。もちろん、私たちが医療保険を持っているからではあるが、他の病院ではこうは行かない。自分で一つ一つ窓口に並んで、順番を待ち、あちこち迷いながら全てを行う。血液検査一つでも2時間くらいは軽くかかる。外国人であろうと保険を持っていなかろうと、同じ待遇。
だから、この病院の外国人向けサービスは徹底していると思う。病院の医療の質は分からないけれど、瀕死の状況でなければ、外国人はこの病院を選ぶこと間違いなし。きっと他の病院と比べると桁違いに請求学が高いことだろう。
医師に診てもらいたいと言い出し、急遽、St. Luke病院のコーディネーター(日本人)に連絡。翌日からイースターでほぼ4〜5連休になるわけだから、前日の夕方にまともに働いている医師もいず、救急外来以外はもう無理と言われ、救急外来に。
フィリピンでは最新の医療機器を完備しているとの謳い文句の病院。どこもかもぴっかぴか。外国人への対応もぴか一。救急に到着すると、スタッフが待機していて、私は既に記入されている書類にサインするだけ。で、すぐ救急のスタッフが現れ、血圧等の測定をし、娘を車椅子に乗せた。
行く先は、小児救急外来。ベッドのある可愛らしい柄のカーテンに囲まれた空間に案内され、すぐに小児科医が登場。とりあえずレントゲンを撮らないと分からないからと言われ、すぐレントゲン室へ。結果が出るまでまたベッドのところに戻る。その間、娘は車椅子に乗ってご機嫌。くるくる回ったり、バックしてみたり。同行してくれているスタッフが笑っていた。
結果が出て、骨には異常なし。軽い捻挫ということで、痛み止めと冷やすよう指示が出て、おしまい。
全部で一時間ちょっと。請求金額は5千円足らずだった。(うち、自己負担は20%)
小児救急で待っている間に本当の小児が数人が外来した。娘のように大きい子は来ない。17歳ゆえ、まだ小児科と言われたが、娘も私も場違いな感じで、赤ちゃん柄のカーテンを見たときは思わず笑ってしまい、写真も撮ってしまった。(なんて母親なんでしょ!)
この病院のシステムのすごいところは、緊急じゃなくても、コーディネーターに連絡して医師を照会・手配してもらうと、待ち時間ゼロ。ずっとスタッフが同行してくれて、全ての手続きを代行してくれ、薬局に薬も取りに行ってくれる。もちろん、私たちが医療保険を持っているからではあるが、他の病院ではこうは行かない。自分で一つ一つ窓口に並んで、順番を待ち、あちこち迷いながら全てを行う。血液検査一つでも2時間くらいは軽くかかる。外国人であろうと保険を持っていなかろうと、同じ待遇。
だから、この病院の外国人向けサービスは徹底していると思う。病院の医療の質は分からないけれど、瀕死の状況でなければ、外国人はこの病院を選ぶこと間違いなし。きっと他の病院と比べると桁違いに請求学が高いことだろう。
2012年3月30日金曜日
イチゴ白書の訂正
先ほど書いたイチゴ白書をもう一度の訂正。
イチゴ白書の映画の舞台はNYのコロンビア大学でした。でも、学園紛争はUCバークレー校でも激しかったのは間違いないみたい。
ウィキによると
今日のカリフォルニア大学バークレー校の特徴であるそのリベラルな校風は、1960年代のフリースピーチ・ムーブメント(Free Speech Movement)によって形成されたところが大きい。元来、1950年代のマッカーシズムなど共産主義者差別、赤狩りに対する強硬な抵抗に見られるように、[7]バークレー教授陣のリベラル気質は高く、その内在していた独特の校風が表出したのが1960年代のフリースピーチ・ムーブメントであった。 1962年には政治活動家のマリオ・サビオ(Mario Savio)やジャッキー・ゴールドバーク(Jackie Goldberg)などが主導となり、UCバークレー付近でバークレー暴動(Berkeley riots)にまで発展した。[8]1964年に出された、学内での政治活動禁止令に呼応する形で、言論の自由をもとめる学生が抗議運動を展開、その後も学生により活発な学生運動は1970年代初頭まで続き、1969年のPeople's Park に於ける抗議行動では参加した教授陣を解雇したり、学生の一人が死亡するという悲劇も起こった。[9] 現在でもそのリベラル気質は学生に脈々と受け継がれる。しかし、最近ではバークレー校の学生は他の米国一流大学の学生より、リベラルで信仰心が薄いとされている。
だそうだ。
1967年公開の「卒業」の舞台の一つにもなっている。
日本では知名度ゼロに近いMiddlebury Collegeと、超有名校のUCバークレー校、どっちがいいというわけではないけれど。 娘には全く迷いがないようだ。
イチゴ白書の映画の舞台はNYのコロンビア大学でした。でも、学園紛争はUCバークレー校でも激しかったのは間違いないみたい。
ウィキによると
今日のカリフォルニア大学バークレー校の特徴であるそのリベラルな校風は、1960年代のフリースピーチ・ムーブメント(Free Speech Movement)によって形成されたところが大きい。元来、1950年代のマッカーシズムなど共産主義者差別、赤狩りに対する強硬な抵抗に見られるように、[7]バークレー教授陣のリベラル気質は高く、その内在していた独特の校風が表出したのが1960年代のフリースピーチ・ムーブメントであった。 1962年には政治活動家のマリオ・サビオ(Mario Savio)やジャッキー・ゴールドバーク(Jackie Goldberg)などが主導となり、UCバークレー付近でバークレー暴動(Berkeley riots)にまで発展した。[8]1964年に出された、学内での政治活動禁止令に呼応する形で、言論の自由をもとめる学生が抗議運動を展開、その後も学生により活発な学生運動は1970年代初頭まで続き、1969年のPeople's Park に於ける抗議行動では参加した教授陣を解雇したり、学生の一人が死亡するという悲劇も起こった。[9] 現在でもそのリベラル気質は学生に脈々と受け継がれる。しかし、最近ではバークレー校の学生は他の米国一流大学の学生より、リベラルで信仰心が薄いとされている。
だそうだ。
1967年公開の「卒業」の舞台の一つにもなっている。
日本では知名度ゼロに近いMiddlebury Collegeと、超有名校のUCバークレー校、どっちがいいというわけではないけれど。 娘には全く迷いがないようだ。
娘の試験が終わった!朗報続々
昨日、娘の学校の試験が終わった。
今日から春休み。休みが明けて一日だけ学校に行ったら、マレーシア。戻ってきて二週間ちょっと授業を受けたら、もう約三週間のIB試験。終わったら、卒業!もうカウントダウン状態。
米大の一般受験の結果発表が続出する三月末になった。
昨日から今日にかけて、娘の同級生達に朗報が届いているようだ。
ブラウン、ペンシルバニア大、デューク、ニューヨーク大etc
EDで受かってしまったから、娘は合格発表までに受験したUC系列の大学(七校)やカナダの大学に出願を取り消す連絡を出した。UC系列の大学では二校がその連絡に対する返事が無かった。
そうしたら、そのうちの一校からは奨学金つきの合格通知が先月到着。昨日は更に別の奨学金ももらえるとの連絡があった。
もう一つの返事が無かった大学、それがUCバークレー校。めでたく合格してしまった。UCの中での最難関校。11年生の頃はバークレーに行ってくれれば、もうそれでいいとも私たち夫婦は思っていた。日本での知名度も高いし、いい学校のイメージが強いし、あの「イチゴ白書をもう一度」当時の学園紛争でも有名になった名門校。レベルから見ると、娘の進学するMiddlebury College よりも低いけれど、そこに受かったのは、正直嬉しい。
同級生達が一般受験でいい大学に続々合格しているのを聞くと、娘がEDをせずに一般受験をしていたら、いったいどんな結果になったのか、知りたくもある。バークレーに合格したくらいだし、他の子たちがいいところを受かっているから、娘もかなりいい線にいったと思う。でも、Middleburyは無理だったかもしれない。そう考えると、EDで合格したのはベスト・シナリオだったわけだけど。
今晩、明日、あさってとまた朗報が続出するだろう。娘と一緒にずっと勉強し学校生活を送ってきた子達の努力が実ることを祈って止まない。
今日から春休み。休みが明けて一日だけ学校に行ったら、マレーシア。戻ってきて二週間ちょっと授業を受けたら、もう約三週間のIB試験。終わったら、卒業!もうカウントダウン状態。
米大の一般受験の結果発表が続出する三月末になった。
昨日から今日にかけて、娘の同級生達に朗報が届いているようだ。
ブラウン、ペンシルバニア大、デューク、ニューヨーク大etc
EDで受かってしまったから、娘は合格発表までに受験したUC系列の大学(七校)やカナダの大学に出願を取り消す連絡を出した。UC系列の大学では二校がその連絡に対する返事が無かった。
そうしたら、そのうちの一校からは奨学金つきの合格通知が先月到着。昨日は更に別の奨学金ももらえるとの連絡があった。
もう一つの返事が無かった大学、それがUCバークレー校。めでたく合格してしまった。UCの中での最難関校。11年生の頃はバークレーに行ってくれれば、もうそれでいいとも私たち夫婦は思っていた。日本での知名度も高いし、いい学校のイメージが強いし、あの「イチゴ白書をもう一度」当時の学園紛争でも有名になった名門校。レベルから見ると、娘の進学するMiddlebury College よりも低いけれど、そこに受かったのは、正直嬉しい。
同級生達が一般受験でいい大学に続々合格しているのを聞くと、娘がEDをせずに一般受験をしていたら、いったいどんな結果になったのか、知りたくもある。バークレーに合格したくらいだし、他の子たちがいいところを受かっているから、娘もかなりいい線にいったと思う。でも、Middleburyは無理だったかもしれない。そう考えると、EDで合格したのはベスト・シナリオだったわけだけど。
今晩、明日、あさってとまた朗報が続出するだろう。娘と一緒にずっと勉強し学校生活を送ってきた子達の努力が実ることを祈って止まない。
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