2012年1月26日木曜日

売れました!

12月からずっと売れずに悩んでいたビリヤード台。娘の学校で値段を下げても誰からも連絡なし。夫のオフィスのポータル・サイトの「売ります」欄に載せても、誰からの問い合わせもなし。

British School(BSM)にお子さんが通っていらっしゃる友人が、BSMの掲示板にチラシを先週の金曜日に貼ってくれた。そうしたら、連休明けの火曜日の朝、一通のテキスト・メッセージが入ってきて、夕方見に来て、即決。

小切手帳片手に現れた50代白人男性。小学生の息子を連れて現れた。私が一生懸命するセールストークを適当に聞き逃し、ザーッと眺めて「じゃぁ、買う」。どうやって運んだらいいかと聞かれたので、「台のメーカーである、Puyat Sportsが運んでくれるけれど、、、一万ペソかかるの」と言ったら、「OK」。値段の交渉も一切なし。チラシに書いてあった値段そのままでチェックを切ってくれた。

今、そのチェックが無事現金化されるのを待っている。現金化されたら、彼に連絡して、台を運び出すことになる。

売れることが決まった瞬間、もう嬉しくて万歳!したくなってしまった。飛び跳ねたくもなった。じっと我慢して、彼らが帰ったあと、娘の部屋に飛び込んで、報告してしまった。


昨日、水曜日の引越しセールの結果も上々。全部売れたわけじゃないけれど、家具は売れたし、大量にあったガラクタも売れた。私の売り上げは3万円を越えた。

今日は、引越し屋さんが見積もりにやってきた。前回も頼んだところだし、実はそこを利用するのもマニラに来てから四回目。値段もまあまあだし、○通よりもトラブル少なかったし。前回よりもガラクタが減った分、値段が少し下がった。


それにしても、毎日いろんなことが起こったり、いろんなことをこなさなければならないので、もうくったくた。おまけに今朝も四時に目が覚めてしまったり。

引越しが終わったら、少しは私も精神的に落ち着くのかしら。疲れたよ~。

2012年1月18日水曜日

ビリヤード台

今日、今住んでいる家の家具の在庫チェックに、家を紹介したブローカーが現れた。

家のオーナーの家具の写真を一枚一枚撮る入念さ。まるで私たちが家具を転売したのではないかと疑っているようだ。そんな彼らの心配をよそに、我家にはちゃんとオーナーの家具は揃っていたし、壊れてもいない。

そのブローカーは、引越し先の家も紹介してくれた。その会社の顧客となって四件目の家となる。だから、私たちはいいお客さん。ブローカー(女性)はとても感じのいい、話しやすい人で、フィリピン人にしては時間も正確だし、何事もきっちりしている。

で、今日、会うなり、彼女に「ビリヤード台が売れない!」と泣きついてしまった。もう自力では無理。学校に張り紙をし、同じコンドミニアム内にチラシも配り、夫のオフィスのポータルサイトやインターネットの「Buy & Sell」にも載せた。でも、反応がない。元値が立派な高級品だから、もちろん売値も高め。私たちとしては半額くらいでは売りたい。でも、その半額が、中国製の安物の新品より高いのだから、売れなくて当たり前かしら。

ブローカーは、家のオーナーにも聞いてくれたらしい。来週のいつか見に来るらしい。でも、あてには出来ない。他に彼女の住む辺りのビリヤード場にも聞いてくれると言っていたけれど、多分、高すぎてだめだろうなぁ。

日本人の中古品のバイヤーに聞いてみたら、ビリヤード台は運搬するのにばらさないとだめで、手間がかかるから千ペソぐらいと言われてしまった。一桁どころか何十倍も違う。とんでもない!

はぁ、こうしているうちにどんどん日にちが経って行く。引越しまであと二週間ちょっと。

2012年1月17日火曜日

あっという間に、引越しまで三週間足らず

娘が帰宅し、学校が9日に始まったら、なんだか突然忙しくなった。

特に、12日に住み込みのメイドさんが辞め、通いのメイドさんに変わってから、私のゆったりした午後は消えてしまった。通いのメイドさんのシフトは6時半から14時半まで。つまり、娘を連れて帰宅したら、もういないわけ。

夕食の準備から片付けまでを全部自分でしなければならなくなった。大変。料理中から出てくる膨大な洗い物。ちょこっと使ったボールやトレイ、お箸、包丁、まな板、とどんどん出てくる。で、料理が出来盛り付けたら、お鍋にフライパン、お玉、スプーン。食後は食器と炊飯器のお釜やらなんやら。住み込みのメイドさんは一人で毎日こんなに洗い物をしていたんだ、と、今更ながらに感心。

でも、メイドではない私は、もうお手上げ。食事が終わるとくつろぐこともせず、さっさと片付け初め、家族が部屋に入ったあとも一人で黙々と片付け。日本では当たり前の風景かな。

私は日本を1997年に出てから、ずっと住み込みメイドのいる暮らしをしてきたら、かなりきつい。

今晩は夫が食器を洗ってくれたから、片付けが早く終わった。手伝ってくれたのはとても嬉しい。でも、きっと長続きしないだろうな。だから、期待しないようにしよう。

キッチンの片付けを仕上げ、タガイタイで買ってきたタラゴンでお茶を入れ、NHKを見ながら一人でくつろぎタイム。これ、いいかも。ちょこっと甘い物を食べ、ニュースを見る。引っ越す家はもっとテレビが見やすい環境だから、こうやって夕食時の疲れを癒すようにしよう。お気に入りの甘い物を用意したりして。

ところで、引越しの方は、やっと引越し屋さんに見積もりを依頼。そしてガレージ・セールのちらしも作った。あと一週間で値付けをしなければ。売り残しのないよう、いろいろ点検しなければ。

問題はビリヤード台。まだ売れない。売れないどころか、問い合わせもない。やっぱり高いんだよね。どうしよう。困った。叩き売るしかないのかしら。13万ペソ(26万円)で買った物を5万円くらいで売るしかないのだろうか。値段を下げたからって、売れるものかしら。どうしよう、どうしよう。

2012年1月6日金曜日

娘が帰宅

昨晩、娘が帰宅。

実に半月ぶりに家族が揃った。家にいて、家族がこんなに長い間留守というのを味わったのは初めて。夫は毎年6月から7月にかけて、こんな気分を味わっていたのかと思うと、申し訳ない。

今日は娘を連れて、夫のオフィスの建物で用事を済ます。久々に一緒だから、娘も機嫌がいい。

夕食も家族で食事。9時半頃までおしゃべりしていた。こんな三人の時間は、6月以降は稀になるのかと思うと、寂しい。


引越しに伴い、メイドさんを住み込みから通いに変えることにした。申し訳ないけれどと事情を話して、今住み込みで働いているメイドさんに辞めてもらうことを話した。ちょうど住み込みのメイドさんを探している人がいるから、紹介しようかと言ったところ、翌朝、田舎に帰ることにしたと言ってきた。ご主人が海外に出稼ぎに出るから、彼女は働かずに子供たちの面倒をみることにしたらしい。子供は6歳と5歳だそうだ。まだまだ「ママ」がそばにいて欲しい年頃。充分な収入があるのなら、せめて片方の親は側にいたほうがいいと私も思う。ただ、それを簡単に言い切れない、この国の事情があるから、彼女の家族にとって一番いい選択だったってことになるといいんだけれど。


通いのメイドさんは友人の紹介。友人のところで約一年働き、友人がマニラを去るにあたって紹介してもらった。日給が高くてびっくり。でも、仕方ない。それに労働時間もたったの8時間(当たり前か。)。だから、お給料に見合った、仕事をさせなければ。掃除にアイロン掛けだけでは勿体ないし、8時間も仕事がない。やはり夕食の下準備を徹底的にやってもらうようにしよう。それとか、買い物も。様子を見て、朝、マーケットに寄ってきて貰って、魚を買って来てもらおうかな。

時間的には融通がききそうなので、私が帰国しているときでも、夫の夕食を準備・片付けしてもらえそう。普段の仕事が楽なんだから、私が帰国しているときぐらい、がんばってもらおう。それには食事作りを仕込まなければならない。

引越しへの準備を着実に進めなければ。来週、学校が始まったら、スケジュールを具体的に立てて、各所に連絡も取らなきゃ。引越しまであと一ヶ月!

2012年1月1日日曜日

こんにちは、2012年!

新年、明けましておめでとうございます。

今年は誰とも面と向かって言葉を交わすことなく、ネットでのやり取りでの挨拶に終始してしまった。

夫とも娘とも。マニラに一人で残っていたから、仕方ないけれどね。

それと、電話をかけるのが苦手だから、つい、実家や夫の実家にも電話をかけじまい。かかってくれば話すのはぜんぜん苦にならないけれど、かけるのは嫌い。今、アメリカの姉に電話をかけなければと夜の10時(あちらの朝9時)になるのを待っている。

昨晩の、目の前に上がる花火は見事だった。きっと規模からしたら、たいしたことないかもしれない。でも、なんせ、100mも離れていない建物の屋上(部屋から見下ろせる)から上がるのだから、たとえガラス越しでも臨場感満点。煙くもないし。首をずっと上に向けている必要もないから、楽チンだし。

部屋の電気を消して、しばし花火にうっとり。

次の花火はバレンタイン・デー。そのときは49階から見下ろすことになる。だから、目の前の花火は今回が最後。堪能した。


2012年、どんな年になるのかな。

私にとってはとってもチャレンジングな年。まず2月早々の引越し。引っ越す先がなんせ狭い。収納力も今の三分の一ぐらい。今だってクロゼットに入りきらず、いろんな物が部屋の中に出ているのに、どうするんだろう。物を処分するしかないんだけれど。

引越しが落ち着いたら、もう娘の卒業の頃。プロムのドレス探しがあるし、夏のプランも立てなければならない。

そして、夏休み。娘に運転免許を取らせなければならないし、娘の親知らずも抜かなくてはならない。娘は日本でバイトをしたいといっているから、7月上旬には全て終わらす必要がある。

で、8月の終わりには家族で渡米。娘を大学に送りながら旅行する予定。

マニラに戻ってきたら、夫と二人の生活が待っている。18年ぶりの二人の生活。どうなることか。

時間を無駄にしないために、日本語の家庭教師業も再開しようと思っている。とはいうものの、時間を拘束されるのがもういやになってしまっているので、どの程度引き受けるべきなのか、悩むところ。

12月には娘が冬休みで帰ってくるかな。二人がまた日本に帰国するようなら、私はまたお留守番。年越しの花火をまた一人で堪能しよう。

こうやって予測できることを並べてみると、2012年も瞬く間に過ぎてしまいそう。

あ、忘れていた。8月には私の50歳のお誕生日が待っている。もう半世紀生きたことになるんだ。昔は人生50年だったから、私の人生は折り返し地点に来たということかな。

まだ白髪が一本もない私でも、さすがに肌の衰えは年齢相応だから、鏡を見るとうんざりする。今の状態をどれだけ長く保っていけるかが課題。若返ることはありそうもないからね。


2012年、いい年として記憶に残りますように。世界も平和でありますように。