2011年12月29日木曜日

一人になって六日

夫が帰国して六日経った。

前回の一人でマニラお留守番よりも、寂しさを感じない。「片付け」という使命があるからかしら。

食事もそれなりにちゃんと作っているし、食べているし。

でも、今日のように誰にも会わないと、一日をほとんど無言で過ごしてしまう。いくら猫に話しかけるとはいっても、やり取りがあるわけじゃないから、独り言と一緒。


「聖域無き片付け」と題して、片付けに励んでいるけれど、総量が減ったようには思えない。自分がどれだけの物を溜め込んでいるかが再確認できるだけのように思う。これでは引っ越してから泣くことになりそう。

とくに、キッチン。使わない食器が多すぎる。どれもそれなりに高価なものだから、ガレージセールで処分する気にならないし。どうしたらいいのかしら。やっぱりStorageを借りなきゃ無理かな。

明日は、キッチンの下段とマスターベッドルームの箱の中を片付ける。どの程度減るのか。

電気鍋って取っておく必要があるかしら。カセット・フーを友人に頂いてから、鍋物も焼肉もそれを使っているから、電気鍋を使わなくなった。トランスを通す必要もあるし。ただ、買い取ってくれる人がいるかどうかも疑問。なんせ100Vだから。困ったな。

私の部屋ではなんと言っても、手芸用品が場所を取っている。これも処分を考えたいと思うけれど、またいつかやりたくなったら、なんて考えちゃうと、羊毛フェルトとかも処分できない。ビーズは目が悪くなってしまって、やるのが苦痛だし。布を使ったものはまだやれるかな。ミシンを使うのは好きだし、刺繍も好き。でも、レース編みとかももうやらないかも。日本人会のハンディクラフトの会に寄付しようか。それにつぎ込んだお金が勿体ないけれど、やっていたときには必要で買い込んだものだし、充分楽しんだとは思う。娘がアメリカに行っちゃったら、暇が出来るけど、そのときにやるかどうか。

とりあえず、手芸用品は入れ物に納まったから、処分はまたじっくり考えよう。


片付けていると手が汚れるから頻繁に石鹸で洗う。そしてメイドさんがいないから、食器洗いも少量だけれど自分でやっている。そのせいか、手のひら側がまたツルツル(指紋等が消え)、乾いた感じ。こまったなぁ。引っ越したら、毎晩、夕食の後片付けをしなければならないのに。ゆううつ。

新年まであと二日。来年はどんな年になるのかしら。天変地異だけは起こらないで欲しい。娘とは離れて暮らすことになるから、何も起こらないようにと願うばかり。

この三日ばかり、ちゃんと眠れている。不眠症も終わりかけているかな。ホッ!

2011年12月24日土曜日

一人のクリスマス・イブ-片付け

やったー!と喜んでから一週間。

娘は早速帰国し、夫も今朝の便で帰国。

私は、乾燥と寒さ厳しい東京に帰ると、アトピーが悪化しそうで怖くて帰らず、一人で残って、引越しの準備に専念することにした。

専念のはずなのに、今日はまだ一つも片付けていない。こうやってネットばかり見ている。だめね。

今日、引っ越す先の計測に行って来た。イメージだけでは広さがちゃんとつかめないので、要所要所を計ってきた。計るたびにため息。特にキッチンはもう絶望的。

引っ越すことも決めたし、契約書にもサインしたし、狭い!狭い!って騒いでいてもどうしようもないのだから、あきらめて、入れ物に納まるように縮小しなければならないのよね。

とりあえず、今日は机脇においてある、小引き出し10段の整理を寝るまでにすることにする。

明日はクロゼットの中。自分のクロゼットと夫のクロゼット。


一番やらなきゃいけないのはキッチン。二箱キッチン用品が詰まっているのが納戸みたいなところにあるし、キッチン内のクロゼット上下にも詰まっている。その中身を点検し、①今使う、②日本で使う、に当てはまらない物は思い切って処分しよう。持っていても仕方ない。


今年の私にはクリスマスもお正月もない。引っ越してからすっきり住みたいから、今時間のあるうちにやるべし。

日本人会から「断舎離」と「人生がときめく片付けの魔法」の本を借りてきた。中身は読んだことがあるけど、とにかく迷ったり、ひよったりしたときに、自分を鼓舞するために。


2011年12月17日土曜日

やったぁ!

合格した。

Liberal Artsの難関校の一つ、ミドルベリー・カレッジ(Middlebury College)に娘が合格!

なんだか、信じられない!


やっぱりパパ(私の父)が応援してくれたから?


なにより、娘がいろいろとがんばったからだと思う。SATもCritical Reading以外はとてもいいスコアを出したし。成績もよかったし、スポーツもやったし。

あぁ、よかった。

娘はよっぽど嬉しかったのか、家中を飛び回っていた。


もし、不合格、もしくは補欠だと、1月の初めまでに他の7校に願書を出さなければならない。エッセイを書き上げ、SAT他のスコアを送り、そして、4月初めに結果が出るまでの悶々とした日々を過ごすことになるはずだった。


今は、そんな心配から解放され、晴れ晴れとした気分。


不眠症からも解放されるだろう。



2011年12月16日金曜日

あと一日

明日の夜9時に、娘のEDの結果が発表されるらしい。アメリカ東海岸時間の朝9時。
つまり今から24時間後。

とても緊張していて、私は夜中に目が覚めるし、娘も何も手につかないようだ。どうせ何も出来ないなら、部屋の片付けでもしたら?と言ったら、「それも出来ない、頭を使わずに時間が過ぎて行くことって何かない?」と言う始末。

夫もやっぱり緊張しているみたい。あと24時間だねぇと口にしていた。

この緊張と混乱の最中、夫は昇進したようだ。役職は変わらないけれど、レベルが上がり、お給料が上がったらしい。私が娘の大学進学が心配で混乱している中で、彼は着々と仕事をしていたということ。おめでとうございます!と心からお祝いの言葉。明日もこの言葉が言えるといいんだけれど。

明日12月17日は亡き父のお誕生日。だから、父が応援していてくれるような気がして、実はとてもラッキーな日のように思っているんだけれど、あまりにも勝手かな。生きていれば、父は81歳になって、きっと二人目の孫の受験を心配してくれていたに違いない。「優秀なパパの血を引き継ぐ孫だから、きっと大丈夫よ、パパ」って私は言っているかも。

とにかく、もう心配で、今晩もまたよく眠れないかも。

2011年12月11日日曜日

受験生の母の不眠症

はぁ、この頃よく眠れない。

寝つきはとてもいい。本を読んでいると、程よい時間で眠くなり、すっーと寝付いてしまっているようだ。

問題は夜中に目が覚めたときに、眠りに戻れないこと。

元々、私は朝まで目覚めないで眠れる性質ではない。夜中に何回かぼんやりと目が覚める。で、お手洗いに行ったり、寝返りを打ったり、時計で時間を確認したりして、今まではそのまままた寝付いてしまっていた。

ところが、ここ一週間ほど、それが出来ない。目が覚めてしまう。「あぁ、いけない、眠りに戻らなければ!」なんて、考えてしまったら、もうアウト!目がどんどん冴えてきて、眠れなくて悶々とすることになる。

娘のEDの結果発表が近づいているからか。それに加えて、引越しの件が気になるからか。

とにかく、トータルで寝ている時間が短いので、昼間がつらい。頭がボーっとしている。運転するのが怖くなる。昼寝も必要になってきて、20分のタイマーをかけて、バタンキュー。

イントラムーロス、朝の散歩


朝7時に家を出て、マニラの歴史地区イントラムーロスを散歩してきた。

先日、母達を連れて来た時に、ちょっといい雰囲気のところがあって、歩いて見たいねと夫と話していたので、早速行ってみた。

7時半頃だと交通量もさそほどではなく、車もすんなり停められ、このところ曇りがちだから歩くのには最適だった。壁の上を歩けるところが何箇所かあり、その上に上ったり、壁に沿って歩いたり。



物売りもやって来ず、散歩する人たちに混じって2~3km歩いた。万歩計の数字は2500歩くらい。

第二次大戦中に破壊されているので、修復されているが、古そうな建物がいくつかあり、在比14年目にして初めて目にし、感動。でも、ほとんどがスペイン時代の建物ゆえ、フィリピン人の歴史と言うより、侵略者の歴史。それゆえなのか、もともと関心がないのか、マニラ観光の目玉になりそうなのに、整備・宣伝は今ひとつ。




イントラムーロス内の北方にある要塞自体は何度も行っているし、日本軍が占領し捕虜を閉じ込めたりした場所でもあるので、訪れてもいい気分がしないので、今回は行かなかった。物売りに取り囲まれるのも気分が悪いし。

帰りに、由緒正しいマニラ・ホテルで朝食。日本のGHQのトップだったマッカーサー将軍が育ち、大人になって戻ってきたときに滞在したホテル。

重厚なシャンデリアが並び、最近のホテルにはない重々しいロビーだった。

驚いたのは、次から次へと出てくる宿泊者の大半が韓国人。ラウンジでコーヒーを飲んでいたとき、聞こえたのは韓国語だけだった。日本の団体客はもうマニラ・ホテルには泊まらず、商業地区マカティにある近代的ホテル(ペニンシュラとかシャングリラ)を好む。でも、エキゾチックさや旅行気分を高めたかったら、古くて、不便な場所にあっても、こういう重厚なホテルがいいのかもしれない。

2011年12月10日土曜日

またまた合格

今日になって、娘の友人たちが続々EDで合格。

スタンフォード大、ダートマス大、ペンシルバニア大、ノースウエスタン大。

スタンフォード大に受かった子は去年、お姉さんも同大に合格し入学した。その上のお姉さんも同大学。三番目の彼女には相当なプレッシャーがかかっていたと思うけれど、お見事!

ダートマス大に受かった子は、9年生の終わりくらいに日本の神戸のインターに転校していったニュージーランド出身の男の子。アメリカの大学に進むと聞いて、ちょっとびっくり。てっきりNZかオーストラリアだと思っていた。

あとに続けるといいなぁ。

2011年12月9日金曜日

ED、コロンビア大発表

韓国人の友人のお嬢さん(娘の友だち)がコロンビア大に合格!娘のサマーキャンプの時の友人も合格したそうだ。

はぁ、結果が良好でもう発表になって、ちょっとうらやましい。

娘のEDの結果はあと一週間ほど。

2011年12月8日木曜日

数字

友人から教わった。漢数字にここまであるなんて。

知らなかった漢字での数の書き方。

大数 一、十、百、千、万、億、兆、京、垓、𥝱(秭)、穣、溝、澗、正、載、極、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数(計21単位) 

小数 分、厘、毛、糸、忽、微、繊、沙、塵、埃、渺、漠、模糊、逡巡、須臾、瞬息、弾指、刹那、六徳、虚空、清浄、阿頼耶、阿摩羅、涅槃寂静(計24単位)




大数のほうの、不可思議とか無量大数とか、結構おかしい。もう大きすぎてわからないって感じ。

少数のほうの、虚空とか清浄あたりも、そんな小さいことにこだわらずって感じがします。そして涅槃寂静、これもいいですね。


嵐の後も忙しい。ガレージセール、引越しの準備

嵐のようにやってきて、嵐のようにあっという間に母は帰って行った。

正直なところ、とても疲れた。特に我家にお友達を連れて移ってきてからの五日間。

普段、在宅時は静かに過ごしていて、こうやってPCに向かっていたり、お菓子作りをのんびりとやっている私。母がくると、ずっと話し相手をしなければならないのがとても憂うつ。それを解消するために、「お友だちと一緒に残ったら?」と母に提案してしてしまった。

一緒に残ったお友達はとてもいい方だった。自己主張されないので、母の行きたいところに一緒に行き、母の食べたい物を食べ、母の買い物にも付合い、というとんでもない日々を送らせてしまった。本当に楽しんでいただけたのかは疑問。でも、「日本と違う面を一杯見られて、楽しかった」とおっしゃってくれた。

さて、月曜日の母の帰国後、私は大忙し。

翌日火曜日から娘が学校主催のボランティア旅行に出てしまったので、水曜日のガレージセールの準備に追われた。

急に2月に引っ越すことが決まり、この際だから目一杯ガレージセールに出そうと、家中から集めたけれど、値付けに時間がかかって、出したいだけ出すことは出来なかった。

それでも、車で二回運ぶほどの量を出し、多少売れ残ったものの、売り上げも9,400ペソ(200ドル)を超えた。売り上げナンバーワン!

引っ越す先は今のコンドの半分の大きさ。収納は多分1/3の大きさ。とにかくたくさん処分しなければならない。まだまだ思い切って処分していないので、あと2ヶ月でなんとか気持ちの整理をして処分しなければ。

キッチン用品(食器を含む)が大量にある。そして私自身のこだわりの物、娘との思い出の品。洋服はどんどん処分できるけれど、この三つのものの処分が厳しい。キッチンは1/5くらいの狭さになるし、パントリーもない。

三年後ぐらいには、日本で更にその半分くらいの面積の家に住むことになるだろうから、今から物を減らして行くのはいいことだと思う。だから、目標は今持っているものを半分にすること。できるかなぁ。


2011年11月28日月曜日

観光、買い物、食事、楽しんでくれたかな。

昨日、母の友だち一行は早朝からコレヒドール島観光へ。もう3回くらいコレヒドールに行っている母はパスするというので、迎えに行った。

家でおしゃべりして、私の作ったお昼を食べ、午後はパワープラントをぷらぷら。母は目ざとく見つけた黒地に金の模様の入ったマフラーを買う。ラックの下のほうにぶる下がっていたのによく見つけたもんだ。紫色のと悩んでいたので、金のほうがまだましと言ってしまった。(母娘で趣味が違うから困る。)

夕方、皆さんと合流すべく、フォートのハイ・ストリート(高級ショッピング地区)へ。
皆さんと歩いていたら、あまりお店に興味を示さないので、夕食までの1時間半、どうやって潰そうかと困っていたら、Von Dutchの店の前で立ち止まり、中を覗いている。入りましょう!と声をかけて入ったら、なんと、皆で盛り上がり、Tシャツを買っていた。30分以上も居たんじゃないかしら。到底高年の女性に受ける店ではないと思うんだけれど。

その後は、購買意欲に火が付いたのか、いろんな店に入るようになり、ベネトンでおそろいのスカーフを買ったり、靴屋さんを覗いたり。

無事6時の夕食の時間になり、キリンという中華のお店に。適当に見繕って頼んだけれど、どれも正解。

そして、皆さんご待望のオカマちゃんたちによるAmazing Showへ。遠めにはオカマか、女性か、美人かどうかなんてぜんぜん分からなかった。でも、動きに滑らかさが足りないように見えた。

母の友だち一行の中に、どこに行っても、何を食べても、「ああ、おもしろい、いい経験をした、いい発見をした」など、とてもポジティブな発言をしてくださる方がいる。そういってもらえると、案内している私は嬉しい。また、同行の皆さんもその言葉につられて、ポジティブに考えてくださる。こういう姿勢って大切だなと思った。

今日は、ジプニーのSaraoの工場を見学。工場というよりは修理場に近い感じ。ジプニーはなんせ中古部品の寄せ集めで出来ているからね。



その後は、養蜂園を訪れる予定だったが、行ってみたら、月曜日定休でだめ。そこで一路、タガイタイへ。

タガイタイに着いてみたら、まだ10時20分ぐらい。お昼まで時間があるので、Taal Vista Hotelで、休憩。十年以上前に来たときは、さえないホテルだったが、今はとてもすてき。眺望のいいところでお茶を飲む。ブコ・パイを皆さんに試食してもらう。お庭で撮影会。



お昼はSonya's Gardenへ。女性だけの一行だから、オーガニック野菜のたっぷりサラダはとても受けた。トッピングを自分で選んでいろいろ乗せられる形式のパスタも大喜び。温室のようなダイニングの雰囲気も良かった。平日だからすいていたし。

「ああ、すばらしい!」とのコメントを後に、一路マニラへ。平日の昼間だったから道もすいていて二時間足らずでホテルに戻れた。

ペソがなくなってきてる皆さんを案内して、グロリエッタの両替商へ。宝石屋さんの中に両替商が入っていて、皆びっくり。私もびっくり。普段、私は夫のオフィスビルに入っている銀行でお金買えちゃうからね。

さぁ、ここからはご自由にお買い物をお楽しみください!と、位置関係だけ説明して私は帰宅。大丈夫かな。ちょっと心配だけれど、海外初めてって人ばかりじゃないみたいだから、なんとかなるでしょ!  私も疲れた。私は帰宅後、家事が待っているし。

明日は、AWCPのバザーと午後はグリーンヒルズ。私はどこまで付き合おうかな、、、


2011年11月26日土曜日

大学の面接

この間の月曜日に、EDでアプライしている大学の卒業生と娘との面接がSkype経由であった。

卒業生は面接官歴15年のインド人女性。二人で1時間15分も話していた。かなり厳しい質問もしてきたようだ。例えば、「貴女はこの大学に何をもたらすことができるか?」

「人生の中で自分が『やった!』と思えた事由はなに?」 娘はありきたりな答えではつまらないと、「夏休みにコロンビア大の寮で、生まれて初めてベッドメイキングをしたとき」と答えたそうだ。果たしてそんな回答が評価できるかどうか。でも、面接官には受けたらしい。面接官はシンガポールに移り住んで数ヶ月。自分の5歳の娘がメイドのいる生活になじんで行くのが怖い、ベッドメイキングはキットやらないで育つだろうと共感していたそうだ。

長時間Skypeで話すのは非常に疲れる。なのに、1時間以上も話していた。で、そろそろ終わりかなと思ったら、「じゃあ、また来週同じ時間に!」と言われたらしい。これ以上、何話したらいいの?と娘。また質問を考えなきゃいけない。

数千人が受けるだろうEDで、一人一人こうやって時間をかけて面接しているんだから、アメリカの大学の入試選考システムって、すごいと思う。多面的に学生を評価するというか、紙面にとらわれず、人物重視というのが伺われる。

さぁ、この面接がどのように合否判定に反映されるのか。再度!といわれた以上、面接官に嫌われたわけじゃなさそうだけれど。

合否の発表まであと20日間。

母到着

母が友人5名を連れて昨日マニラにやってきた。このところその準備で忙殺されていて、ブログの更新もぜんぜん出来なかった。

母はほぼ毎年、このマニラにやってくる。それゆえ、今更目新しいところもなく、いつも買い物に連れ歩くだけになってしまうので、私としては友達を連れてやってくるのは歓迎。

旅慣れているとはいえ、母の旅行はいつも、グループで旅行会社がプランを立てて、専用のバスでいろいろ動く旅行。つまり、プランがきちっとないとだめ。それゆえ、フィリピンが初めての人用のプランを立て、食事もバラエティに富んだ内容を用意した。

ところが、はや二日目にして、プランを崩された。崩すのは彼女達の勝手なのでいいのだが、私まで巻き込まないでほしいと言うのが本音。

プランを日程表としてガイド・運転手を含む全員に渡してある。それには行く先々のレストランの電話番号も記入してあり、予約の有無が分かるようになっている。

今晩は、フィリピンの民族舞踊のショーを見ながらの夕食が6時半からの予定。それなのに、6時半に電話してきて、「お腹が一杯だから、スペイン料理の食事をキャンセルしたい、電話番号を教えて欲しい」と電話してきた。1.電話番号は日程表に書いてある。2.ショーを見るための食事。3.スペイン料理なんてどこにも記していない。

2,3はともかく、1に頭にきた。せっかくギリギリまで予定を確認し修正しながら作った日程表、ガイドも母もぜんぜん見ていなかった。

明朝、早いから遅くまで早くにホテルに帰りたいとも言っていたが、9時に電話しても出ない。

9時50分、やっと電話が繋がった。

どうやら今日は結婚式が多かったらしく、イントラムーロスの教会周辺は大混雑だったよう。ココナッツパレスも結婚式で貸切。水族館は5時間待ちで入れなかったとのこと。やはり週末はだめね。ライオンズ・クラブの集まりがあるとも聞いているし。

まだ三日間の予定がある。何が起こるか。


2011年11月14日月曜日

またぁ!? 娘にまたMac購入

今朝、学校に行く途中で、娘が学校で使っているMacBook(2010年5月購入)が起動しなくなったと言い出し、学校にあるMac Centerで見てもらうと言ってた。

お昼頃、突然携帯に電話をかけてきて、修理には1ヶ月くらいかかる、Macがないと今日から困る。新しいのを買ってくれ!

家で使っているMacPro(2007年5月購入)があるじゃない!と私。あれはバッテリーが壊れていて、チャージャーを繋げていないと全く使えない。持ち歩けない!と娘。

娘は夫に電話し、新しいのを購入する許可を得たと私に報告。夫に確認したら「仕方ないよ」。

修理に出したMacBookは私にくれるそうだ。私には今使っているPCがあるし、Netbookも持っている。3個目のラップトップ。まぁ、今使っているのはもう満四年で、DVDを見たりするときに音が変だから、MacBook使ってもいいけれど、なんだかねぇ。

結局、チェックブックを家に取りに帰り、閉店時間ギリギリにお店に飛び込んで、買って来た。五万四千ペソ。つまり、円で11万円くらい。はぁ。

大学に入学するときに新調する分を前倒ししたことになるけれど、またどうせすぐ壊れたり、古くなったりするんだろうなぁ。なんてお金のかかる娘なのかしら。

2011年11月13日日曜日

エプロン作り

今度の日曜日(20日)に友人の住んでいるコンドミニアムでバザーがある。いつも手作り仲間でテーブルを一つ申し込んだ。今回は有料(1200円)だけれど、5人くらいで割るから、それくらいの儲けがあるといいんだけれど。

目がめっきり悪くなり、ビーズでバッグとか作れなくなってしまった私は、腕が痛くても使えるミシンで作るエプロンを今日、四枚作った。



どちらも、元はキッチンタオル。上2/5ぐらいを切り取り、紐にして繋げた。カフェ・エプロン風。ちょっと生地のデザインが、このマニラにしてはしゃれているように思うんだけれど、どうかしら。

これが果たして売れるかどうか。この国でエプロンをつける人がいるかどうか。メイドさんは着けないし、私のように自分で料理する人も、暑いし、家では汚れてもいい服着ているから、エプロン派ではない。でも、友人はコップ一個洗うにも、着けていないと落ち着かないからと言う。四枚作ったから、二枚でも売れてくれたら、元が取れるんだけれど。

今回、6枚作るつもりで、キッチンタオルを6枚買った。ところが、二枚に染みや折傷。折り傷は自分で使うなら気にならないけれど、さすがに売り物には出来ない。染みはもってのほか。で、仕方がないから、その二枚は半分に切って、キッチンタオルとしておまけにあげることにした。自分で使ってもいいし。品質管理がやっぱりなっていない、この国は。

ところで、上の水玉模様はタグにMartha Stewart、K-martと書いてある。こちらで生産していて、オーバーランを売っているのかしら。どうりで、ちょっとデザインや色使いがいいような気がする。

娘が必死に大学受験の準備をしている最中に、こんなことをやっている暢気な母親。

2011年11月6日日曜日

アプライ、始まる!

いよいよ、娘がアプリケーションを送り出した。

まずは締め切りが11月15日のEarly Decisionの学校。私は、EDの同意書にサインをしただけ。あとは娘が全部アプリケーションを埋め込み、送信。で、今週中にガイダンス・カウンセラーが内申書や推薦書を送ってくれるのを待つのみ。

ドキドキしたわりには、ほとんど何もしていないから、拍子抜け。というか、こんなに簡単でいいの?って感じ。こんなに簡単なのに、結果はとっても重要っていうんだから、なんだか心配。

ED、受かってくれるといいなぁ。EDで受かったら、これから半年の過ごし方、気分がだいぶ変わってくる。だめだったら、年末もアプリケーション(エッセイ)に娘は取り組み、4月まで不安な日々を送ることになる。

ああ、心配。


でも、今月はなんだかとても忙しくなる。

まず、20日にセレンドラのバザーに参加する。この頃目がめっきり悪くなってしまい、おまけに手も痛いもんだから、売る商品がない。今、仕方なく、肩こりと戦いながら、ビーズバッグ作りを始めた。でも、家じゃないと拡大鏡がないからできない。家に籠っていられるときに作れるだけ作ろう。今週末でやっと二個出来た。あと2,3個できるかな?

ビーズバッグ以外だと、私はいつものクッキーとバナナブレッドぐらいしか売るものがない。クッキーは焼くのが暑くて大変だけれど、数が一杯できるから、少しは儲かる。バナナブレッドも小さめのを四つ作れたらいいけれど。前日に焼くしかないから、数が限られる。

このバザーがおわると、母達一行がやってくる。25日にマニラについて、30日まではホテルに滞在。その間はちょくちょく顔を出すことになる。

30日に母と友達一人を残して、一行は帰国。午前中に母と友だちを迎えに行って、二人は12月5日まで滞在。どこへ二人を案内するか、考えなければ。

12月6日から9日まで、娘はボランティア旅行。7日に友人宅でガレージセール。6日たった一日では到底用意が出来ないし、母達が滞在中も用意が出来ないから、25日までにガレージセールで売り払う物の選別をしなければ。

あぁ、考えただけでもくらくらしそう。今週、とにかく暇を見つけては断舎離に励もう。箱を用意して、どんどん!

こうやって忙しく過ごしているうちに12月11日なる。そうしたら、EDの結果発表。受かれば万々歳!でも、落ちてしまったときにどうやって娘を慰めるか。今から考えているのは縁起が悪い。今は受かる!ことだけを考えようっと。


2011年10月27日木曜日

娘の矯正

娘の歯列矯正についてはずっと念頭にあった。 

でも、素人目にはとても歯並びがいい。 

フォト

定期的な歯科検診に行くたびに歯科医にもやった方がいいかどうか尋ねてきた。娘は歯が生え揃うのがとても遅かった。だから、一番奥の歯(12歳臼歯)が生えたらねぇ、なんて言われているうちに、いろいろ忙しくなり、放っておいた。 

このごろ、娘の周りの子達(17~19歳)のほとんどが矯正が終わって、完璧な歯並びになっているので、気になりだしたらしい。 

以前、友人がしていた透明なInvisaligne (http://www.invisalign.com/How-Invisalign-Works/Pages/Default.aspx) に興味があったので、普通の矯正と両方取り扱っている歯科医に一昨日娘を連れて行った。 

歯科医いわく、Invisaligneは子供には勧めない。矯正力が弱いので、戻りやすいそうだ。美的外観を気にする大人にはいいけれど、まだ骨が柔らかい子供には今までの矯正器具(Braces)で簡単に直るし、固定する力も強いそうだ。 

で、娘は極めてマイルドな症例なので、Bracesは6~8ヶ月つければ大丈夫とのこと。 

でも、7ヵ月後の卒業式にはまだ外れない。しかも、私の経験上、Bracesをつけるとしゃべりにくい。つけた直後や二週間ごとにワイヤーを締めた直後は強烈な痛みに襲われる。最近、Bracesを外した友人も、勉強しなきゃいけない時期にきついかもと。 

私が矯正を始めたのは13歳くらい。結婚してNYに行くことになったとき(28歳)まで、矯正の歯科にはチェックアップのために通っていた。で、その後の20年経たないうちに前歯が動き出した。もちろん矯正前ほどひどくはない、自分しかわからないくらい。でも、矯正は一生物ではないってこと。 

歯が痛くて、眠れない、頭痛と戦うことになる、これから重要なプレゼンがいくつもある、ちゃんと発音できないと困る、卒業式の写真で笑えなくなる、、、等々、娘と考え、結局、今回は矯正はしないことにした。 

でも、やるなら今しかない。本当はしたほうがいいんじゃないか、あとで後悔しないか、ここ(フィリピン)でやっておいた方が安い、大人になってからやるんじゃ大変、みっともなくないか、、、 

矯正しないことに決めても、まだ、いろんなことが頭を駆け巡る。あぁ、どうしよう。 

右手、イタッ!

だいぶ直りかけていた右腕の痛み。

なのに、月曜日にクロゼットの棚から物を取ろうとした弾みで、肘をドアにぶつけてしまった。そうしたら、激痛!またまた痛みが再発してしまった。トホホ

仕方ないから、おととい、昨日は湿布を巻いて、包帯で包んで。でもさ、ゴムの入った包帯を使っているせいか、痒くなっちゃうのよね。ああ、憂うつ。

2011年10月20日木曜日

SAT

娘が10月1日に受けたSATの結果が出た。

Critical Reading の点数が少しでも上がることを願って受けたはず。なのに、昨年10月より10点、前回の6月より20点上がっただけ。他の二つは下がった。

大学はSuper Scoreを見るというから、下がったのは気にならないけれど、たった10点しか上がらなかったのが可哀そう。

今回、格段点数が上がったら、志望校のレベルも上がる予定だった。もしくは、志望校は変わらなくてもかなり楽観視できるものになるはずだった。総合点でたった10点あがっただけ。2100点に届かなかった。

仕方ないね。このスコアで行くしかないんでしょうね。

やっぱり頭が理系で、文章や単語の細かいニュアンスの違いが分からないのかな。本もほとんど読まない子だし。

ちょっと悲しい。


今週末受けるACTも本人は自信がないと言ってる。


彼女の実力に見合った大学に行けばいいだけなんだけれど、周りの子達がいい大学を受けるって話を聴くと、SATさえ良ければって思っちゃう。成績はいいんだけれどね。

ま、仕方ない。身の丈にあった大学に受かってくれることを祈ります。EDに受かるといいなぁ。

2011年10月19日水曜日

受験先、またまた迷走

東大のPEAKを娘が受けないと言い出した。どうもサイトをチェックして、紹介ビデオを見たら、あまりにもお粗末で、四年間過ごすことに不安を覚えたらしい。

もともと彼女の中で東大PEAKのプライオリティは低かったようなので、「行く気が更になくなったのなら、他の大学を受けたら?」と夫も私も同意見。

替わりに出てきたのが DukeとUSC 

どちらも難関。USCはしかも学校への納入金が6万ドル近い。他の大学も5万5千ドルだからほとんど変わらないと言えば変わらないけれど、なんとも高い。

DukeはHarvardやYale、Prinstonを落ちた人たちが集まりがちとかで、学生の評判が賛否両論。

いったい何を基準に大学を選ぶべきなのか、本当に難しい。

あと2,3日でSATの結果が出る。その結果次第で、受験校が決まる。少しでも点数が上がっていれば、更に難関校。上がらなければ、今のリストにあと一つ(Duke or USC?)。結果発表が待ち遠しい。

結果といえば、ED1の結果はあと2ヶ月足らずででることになる。まだアプライもしていないから、そんなこと考えても仕方ないけれど、なんだかドキドキである。受かる確立が低そうだから、あまり期待はしていないけれど、もし合格したら、、、なんて考えると楽しい。

ところで、先日のTOKのプレゼンで、なんと娘のグループがトップだったらしい。同じ満点のグループはあと5組あったらしいが、全高校生の前でもっともよかったプレゼントして見本を示すのに、娘たちが選ばれた。娘はレバノン系の男の子と二人で、Facebookに関してプレゼンをしたらしい。例年、Facebookを題材に選んで失敗した例が多かったらしいので、TOK担当の先生達に危惧されていたのだが、見事、先生達を唸らせるプレゼンを行うことが出来たようだ。

IBコースにおける小さな成功だが、娘に自信を与えるいい機会になったと思う。

ちなみに昨年見本に選ばれたのは、三人組で笑いと病気治療(?)についてプレゼンをしたらしい。その三人組は揃ってStanford大に進んだ。

2011年10月13日木曜日

The Help、フィリピンでは

学校の勉強と大学受験準備で忙しい娘が、高校最後のHigh School Play(ロミオとジュリエット、ミュージカル)に、メイキャップと小道具で関わっている。 

定時に迎えに行ってもその準備とやらでぜんぜんやってこない娘を、私は校内のカフェテリアで、読書をしながら待っている。 

今はアメリカ在住の友人ご推薦のThe Helpを読んでいる。半分くらい読んだところ。 

本当は映画を見たいのだけれど、このフィリピンでは上映しないような気がする。 

Helpはもちろん、メイドさんを意味して、この本では黒人のメイドさん。 

読み始めてすぐに、通いのメイドさんがゲスト用のお手洗いを使うことに、雇用者側の白人が異を唱える場面が出てくる。理由は白人と黒人とは持っている菌が違うから。「え?共用していたの?」と、つい思ってしまった私。そう、このフィリピンでは、メイドさんとはトイレを共用しない。シャワーも別。 

小説内のいろんな場面での雇用者とメイドさんの関係が、そのままこちらの現実の関係に当てはまり、そうか、アメリカでも同じだったのね、などと呑気に思ってしまったけど、こちらは、私のような外国人はともかくとして、同じフィリピン人の中でその関係が当てはまるから、いたたまれない。 

アメリカのように人種が違うわけではない。まぁ、フィリピン人といっても様々な混血がいるし、混血を嫌う中国系もいるから、同じ人種には見えないけれど。小説の背景である1960年代の南部では白人(お金持ち)VS黒人(貧しい)だが、こちらは、お金持ちVS貧困層だけ。人種の違いはなくても決して這い上がれない階級がここフィリピンには存在する。 

小説では、黒人メイドさんの現状に違和感を抱く白人女性がメイドさんたちに聞き取り調査をしてレポートを書こうと試みている。その最中に人種差別問題が大々的になってくるというあたりまで読み進んだ。 

もし、フィリピンで、この映画を上映したら、英語の映画を身に行く観客(つまり中流から富裕層)は、「ああ、アメリカにおける人種差別の映画ね」と簡単に思えるだろうか。いやな現実を見せつけられるのではないだろうか。 

今、NYで起きているような、所得格差解消を求めるような抗議行動は、アメリカが大好きなのに、この国には飛び火しないだろう。貧困層は世界で起こっていることに関心はないし、中流階級もあきらめ感が漂っていて、政治家から政府まで富裕層が握っているのだから、何も変わらないと思っているだろう。 

もうすぐ在13年となるこのフィリピンを、暮らしやすいとまで思うようになった私だけれど、このどうしようもない格差や貧困を目の当たりにすると、やるせなさが漂い、悲しくなる。もちろんその貧困の上に私たちの暮らしやすさも成り立っているのだけれど。 

2011年10月11日火曜日

アメリカのカレッジ

昨晩から、リサーチを始めた。娘任せにしていたのをちょっと反省して、こちらからも情報を発信できるように。

調べれば調べるほど、娘が受験しようと考えている10校に合格するのが難しく思えてくる。

10校とも(正確には8校)、素晴らしい大学だ。学生人数も少なく、設備が充実している。先生と学生の比率も非常に低い(?っていうのかな、1:9とかだと。) そして例外なく、授業料が高い。

一年間に学校にかかる費用は寮費や食堂費も入れると、どこも55,000ドル前後。4年間で220,000ドル、1ドル80円と考えると1700万円以上。お給料がドル払いの我家ではそのまま22万ドル。やれやれ。

ED(Early Decision)で入れるといいなぁ。EDIIでもいい。そうじゃないと、4月まで合否はお預け。精神的に厳しいね。

2011年10月9日日曜日

壁にまた穴二つ

昨晩、夕食後くつろいで家族でおしゃべりをしていたとき、娘が来週の火曜日はテストが三つもあるとぼやいた。一つは漢字テストで、成績に対する割合が低いし、時間がないから勉強しないと言った。それに対して、夫がこうやっておしゃべりしている間に勉強したら?と言ったら、もう大変。娘が切れて、突っ張り棒で吊ってあったカーテンを引き摺り下ろし、ものすごい勢いで部屋に閉じこもった。娘の部屋からは嗚咽とドタドタとものすごい音。

今日のお昼に娘を起こした。なかなか起きてこない。夫とお昼ご飯を先に食べだしたら、娘も食べにやってきた。無言で三人で食事。先に終わった夫が「買い物に行って来る」と席を立った。

夫がいなくなるのを見計らって、娘がぼそっと「また壁に穴が開いた」と。

えっ~!5月に直したばかりなのに、と思いつつ、見に行ったら、あれまぁ、二つも大きな穴が開いている。また直さなければならない。うんざり。

ムカッと来て、「いい加減に自分をコントロールできるようにならなきゃいけない」と捨て台詞を残して、自分の部屋に引き上げた私。でも、待って。ここで娘を突き放したら、きっとまた食後に自分の部屋に戻って荒れるに違いない。

仕方なく、食卓に戻り、娘と話す。学校・進学の重圧があるのは分かるけれど、何とかバランスを取らなくちゃね。やれる範囲でがんばればいいんだからと落ち着いて話しているうちに、娘の気分も治まってきたみたい。

夕食時には、機嫌が戻っていて、受けたい大学の話などをするようになっていた。

さて、夫は何を買いに出かけたかと言うと、娘にあげる腕時計。17歳のお誕生日が昨日だったこともあるし、ろくな腕時計を持っていないから、買ってやりたいと以前から言っていた。で、一人でこっそりと買いに行ったらしい。数字面がピンク色のきれいな時計。若い子向き。日本では黒木メイサがイメージモデルのセイコウのルキア。こちらで売っているのはもちろん中国製。ちゃんとセイコウだけれど、ルキアのロゴはない。ルキアのセカンドバージョンといった感じ。

機嫌がいいのをみて、あげるチャンスと思ったらしい。私が箱にリボンを付けたのを、夫は取りに行って娘に手渡した。気に入ったようで、娘は喜んでいた。

とりあえず仲直りは出来たようだ。でも、後始末の穴ふさぎは私が手配しなければならない。あぁ、損な役。

2011年10月6日木曜日

17歳

あさって、娘は17歳になる。 

娘と接していると、「もう17歳にもなるのに」と思うときと、「あれ?まだこの子17歳なのに」と思うときがある。 

17歳当時の自分を思い出してみると、生活全般では、私のほうがしっかりしていて、単身赴任で父が不在になった頃なので、毎朝、お弁当を作ってもらうために母を起こしていた(!)自分の姿が思い出される。次女だったこともあり、自分のことは自分での姿勢が徹底していた。 

娘は人手のある環境で、しかも一人っ子、専業母の元に育ったせいか、生活面がだらしない。物はしょっちゅう失くす。昨日は日本で作ってきた眼鏡を学校で失くした(げっそり出てきますように!)パソコンのチャージャーは、本体を買って二ヶ月も経たないうちに失くした。部屋もぐちゃぐちゃ(これは私も一緒)。バスルームはいつも水浸し。汚れた服と迷った末に着ないことにした服がごっちゃに床に散らばっている。 

でも、「この子はまだ17歳にもならないのに、こんなことを考えている」と思う場面がいくつも思い出される。 

昨日、ED希望大学のリストを学校に提出しなければならなかったらしい。アメリカの大学にはEarly Decision (ED)という制度がある。一般の受験よりも早くに願書を提出し、結果が2ヶ月以内に分かる。一般受験だと提出から3~4ヶ月後に結果がでる。ED受験は合格率が高い。大学によっては全合格者の半分以上をこのEDで選ぶ。ただし、EDは一人一校しか出願できない。しかも、合格したら、経済的理由以外には入学辞退できない。 

EDにも二つあって、ED1は11月に出願し12月半ばには結果発表。ED2は一般受験と同じ12~1月頃に出願し、結果が2月半ば。 

志望校選択については娘に任せてきた。ED1は以前から決まっていて私も知っていた。ED1がだめだった場合にED2も出すかもと言っていたが、具体的には聞いていなかった。 

昨日のリスト提出にあったって、娘はいろいろ考え、リサーチを重ねたらしい。結局、合格の可能性がある有名校(アイビーリーグ)よりも、自分が希望する、「小さな大学」を選んだそうだ。ED1で出願する大学はその他の有名校と甲乙つけがたいから、夫も私も納得していたが、彼女がED2で選んだ大学は、そのちょっと下。合格したら他にどんな大学に受かっても行かなければならない。でも、自分にはどんな大学が合っているかを慎重に検討した結果だと話していた。 

17歳、いや18歳で受験に望んだ私。そこまで志望校を検討していただろうか。偏差値とか知名度で大学を選び、その大学の個性や自分に合うかどうかなんてことは全く考えていなかった。大学で何を勉強するか自体もあまり考えていなく、担任(英語の先生)に「女の子は英語がいいですよ」と言われ、英文科/文学部を受験。進学した先の大学で2年生のとき、果たしてこんな勉強をあと二年も続けられるだろうかと悩み、同じ大学内での転科を決意。好きだった歴史(西洋史)に移るべく、受験勉強をやり直した。それは私が20歳のとき。 

娘はもちろん、まだ17歳。彼女の判断が正しい結論かどうか分からない。でも、多感なこの時期に大いに悩み、考えたなら、道は自ずと開けるだろうし、今後の自分の判断力の助けになることでしょう、がんばってねと、楽天的な私は思うのみ。 

あまりにも違う17歳を送る娘を見ていると、一つのドラマを見ているようだ。先行きが楽しみ。

2011年10月5日水曜日

マニラのカジノ

右手指にまで広まってきた痛みのために、このブログもお休みがち。

今日、手芸の中間達とマニラのカジノを覗いてきた。正確に言うと、カジノのあるホテル・リゾートを覗いてきたのだけれど。

マニラの第三ターミナル近くに出来たResort Worldというところにあるシンガポール系の中華料理が美味しいとのことで、皆で繰り出した。

お料理は美味しかった。北京ダックが最高。半身で900ペソくらい。7人で食べるにはやや多かった。そのほか、豆腐料理、野菜、ホーファン、チキンライス(チキンの茹で汁で炊いたご飯)もとても美味しかった。5%の割引カードを友人から借りてきてくれたので、一人365ペソだった。大満足。

昼食後はカジノを外から覗き、高級品店の並ぶ通路を通って、マリオットホテルへ。そこのビュッフェ・レストランでお茶だけ飲もうと行ったら、レストラン入り口に通された。出てきたメニューにしたがって注文を入れたのに、請求書の値段がぜんぜん違う。 どうやら、メニューはレストランので、外側は別のカフェだったようだ。でも、私たちは提示されたメニューに従ってオーダーしたのだから、メニューに載っている値段しか払わないと突っぱねた。変な話よね。

他のホテル(シャングリラとか)ではコーヒーを取ると小さなクッキーがついてきて、150ペソぐらいなのに、そこのはIllyのコーヒーだとかで、200ペソ以上、しかもクッキーなし。

カジノもカフェもビュッフェもお客はほとんどフィリピン人だった。フィリピンに観光に来てカジノに入る外人はいないよね。しかも空港近くのホテルなんて、不便だし。

シンガポール料理を食べにまた来てもいいけれど、他は用のなさそうな場所だった。


このごろ、娘がハイスクール・プレイの準備で忙しい。お迎えが5時近い。裏方だから、今が忙しいのかな。今日なんて、2時半には学校に着いてしまったから、二時間以上、本を読んだり、まどろんだりして過ごしていた。時間の無駄だね。明日は4時半過ぎにお迎えに行くことにして、それまでの時間、買い物に行ったりしようっと。

ところで、先週のTOKのプレゼンテーション、娘は満点だったそうだ。よかった。がんばっていたからね。満点を取ったのは6グループだけとか。そのうち4グループに数学のハイレベルの子達が入っていたそうで、娘たちはいよいよ自分達が学年のエリート達だとの自覚を深めたみたい。実際数学のハイレベルのクラスの子達は数学だけじゃなくて、全般的に成績がかなりいい。優秀な生徒の集団。その中では娘はあまり輝かないように思うけれど。でも、Self-esteemが高まるのはいいことね。


2011年9月29日木曜日

リコーダー練習

今日は、久々のリコーダーの練習日。来週の金曜日に舞台に立つのに、久々とはちょっとずうずうしいかも。

演奏する曲は慣れ親しんだ曲だから、それなりに皆まとまっている。その気の緩みが怖いんだけれど。自己満ではなく、果たして人に聞かせられるレベルに達しているかどうかが気がかり。

腕が痛いので、控えめに練習するつもりだったけれど、テナーを吹くのは私一人。手を抜くわけにも行かず、結局ずっと吹いていたら、やっぱり最後の15分くらいはもう右手の指が動かせないくらいの痛みになってしまった。最後は左指を使う音だけ出していた。困ったもんだ。

発表当日は、たったの二曲だから、問題ないんだけれど、それまで練習しないわけにも行かないし。せいぜいイメージトレーニングだけでもしておこう。

今日のマニラは珍しく 晴れ。運転していてまぶしかった。

2011年9月27日火曜日

台風 Pedring

台風Pedringがルソン島北部を通過するため、今日のマニラも雨模様。学校も昨日の夜連絡があって、休校になってしまった。

娘は友だちの家でプロジェクトをするといって、出かけたっきり。自分で遅く起きたくせに、さんざん私に当り散らして出て行った。フン!

台風の最中、出かける必要もないので、家で片付けたり、マドレーヌに初挑戦したり。

マドレーヌの出来栄えはまあまあ。日本で買ってきたシリコン製のシェル型を使ってみたくて、昨日もお菓子を焼いたのに、また。雨降りで涼しい日はオーブン使うのも楽だし。

片付けもずっとやっていると飽きるから、こうやってついパソコンをいじってしまう。それで、また腕と手首と指が痛い。

ところで、昨日スーパーで呆れてしまった。


だって、まだ9月よ。いくらなんでも。でも、クリスマス・ソングはもうそこら中で流れているらしい。

Mixiでそうつぶやいたら、イギリスのIKEAでも、もうクリスマスの飾りが売られていたそうだ。世界中、どこも不況で、クリスマスを求めているのかしら。

写真を撮りついでにこんな写真も取ってしまった。なんか変よね。

Sushiじゃない。わさびいらない。海苔が小さい。味は酢飯?塩味? 一個50ペソ(100円)て高くない?

ついでにもう一つ。これも、高いよね、この中身で。


2011年9月25日日曜日

せっかくブログ始めたのに

右腕から指にかけて痛みが走るから、ほとんどPCも出来ない。クリックも曲者。指の使いすぎになるのかも。

だから、読書三昧の日々。昨日日本人会で三冊仕入れてきたから、今週も退屈しないで済む。

娘の風邪が今ひとつ抜けず、昨日はほとんど寝ていた娘。今日もお昼に声をかけたら、だるいから外食はいやと言う。仕方ないので、家で明太子・たらこスパゲッティと、かき玉スープ。

魚ばかり食べていると、調理法も決まってきてしまうので、なんだかうんざり。夫も同じらしく、珍しく夕食のメニューを提案してくれた。a.肉なしラザニア b.パエリア  お肉の入らないトマトソースとホワイトソースでラザニア。悪くないけれど、ぺったんこのラザニアになりそうとの結論が出て、パエリアに。

冷凍の貝を買って来て、イカと海老を加えて、作ってみた。結構いい加減に作ったけれど、店でたべるのより美味しいと評判がよかった。ローテーションに加えてもいい!と夫が珍しく言ってた。
ちょっと余るのがいやで、食べつくそうと食べたから、胃にもたれている。オリーブオイル(大さじ2くらい入れたかな)以外はあっさりしているから、すぐ治まると思うけれど。

こうやって調子に乗ってキーボード打っていると、また腕が痛くなるので、この辺で。

娘の風邪、早く治らないかなぁ。

2011年9月18日日曜日

時計の正確さを求めて

夫がこちらで買ったSEIKO5の一つが非常に遅れるからと、保障期間の内に直すと言って、先週、SM Northにある修理受付センター(SEIKOの店)に持っていった。一週間後に取りに来る様言われ、今日、二人で取りに行った。

先週は午後に行ったので、激混みで、人の中を泳ぐように歩いていったので、今日は10時過ぎには家を出た。渋滞もなく20分程度で着いた。

「まだ出来てない」って言われたらどうしよう?とか言っていたら、ちゃんと出来ていた。バランス・ウィールとやらを換えたそうだ。さぁ、これでちゃんと正確に動くかどうかチェックするために、日本のSEIKOと秒針まであわせ、時間をつぶすために、食品の買い物をした。

10分も経たないうちに10秒くらい遅れることが判明。また店に戻り、説明。やれやれといった顔で、修理担当のお兄ちゃんが自分で直すから30分後に戻ってくるよう言われた。

さぁ、このモールで更に30分過ごすのはきつい。

フィリピンのショッピングモールは、基本的にどこのモールに行っても入っている店が同じ。だから、いまさらぶらぶらする気にもならない。仕方ないから、家に電話して娘にお昼は一人で適当に食べてもらうことにして、私たちは食事をして時間をつぶすことにした。ざっと見回して、入りたいお店がない!みんな安価(低レベル)の店ばかり。その中に吉野家を見つけ、他の店よりはまし、味が分かっているからとのことで、二人で牛丼(大盛りだったけれど、もともとが少ない)。着色料たっぷりのアイスティー数種しかないので、二人で水のボトルを買った。

フィリピンでは、吉野家は非常にはやっている。味は日本の吉野家を良く知らない私には分からないけれど、夫いわく、同じようなもの。ご飯がローカル米なので、ちょっとべちゃべちゃ、バラバラしてしまうけれど、まずい中華やピザよりは食べられる。御当地メニューも出てきて、フィリピン人の大好きな海老の天ぷらの入ったお弁当タイプもある。店の作りも、日本を意識した和風。安い(二人で320ペソ)わりには、雰囲気がちょっと違うので、ローカルの中流の人たちには、Japanese!と言って受けているのかもしれない。

さて、時計。取りに行ったら、とりあえず、直っていた。20~30分の間に大きな狂いはなかった。1日単位で遅れるぐらいなら許容範囲と、この国では考えなければならないと思う。それがいやなら、この国で時計を買ってはいけないってこと。

さぁ、明日の朝、夫が何秒遅れたって言うか、楽しみ。

2011年9月17日土曜日

あっという間にまた週末

今週は昨日、学校が休みだったこともあり、あっという間に過ぎてしまった。

両肘が痛くて、PCのキーボードを打つのがだんだん億劫になってきている。なんだか、このままリュウマチ患者のように、痛い痛いを引きずって日々を送って行くのかしら。ゆううつ。

気が付いてみると、もう9月も半ばが過ぎた。二ヶ月足らずでApplyが始まる。私がしなければならないことをしっかりと把握しておかなければ。

今日は、朝、マーケットに行き、帰宅後、ジムへ。Misukに会う。彼女はほぼ毎日ジムに来ているらしい。体型を変えたいらしい。難しいね。でも、毎日来ていると、そのうち変わるよ。

ジムから戻ったらもうお昼の時間。イカとアンチョビのパスタ。それに今日マーケットで買ったカラバオのチーズをトマトに添えた物。カラバオのチーズはちょっと物足りない味。塩をちょっと振り、オリーブオイルをかけたら、まあまあOKの味。

昼食後は夫と一緒に日本人会の図書室へ。本をちょこっと借りて、帰宅。

借りてきたDVD、「さまよう刃」を久々にTVで夫と見た。以前読んだから、大体覚えていたけれど、結末は覚えていなかった。寺尾聡がいい味を出している。いい役者さん。でも、中学生の父の役はちょっと無理があったように思う。ま、年行って出来た子ども、歳の離れた奥さんとの子どもって設定ならいいか。

性犯罪者は犯罪を繰り返すと言う。このストーリーのような事件が起きたら、私もその実行犯を許せないでしょうね。未成年というだけで、厳罰が科せられないのって、甘い気がする。更生する可能性が低い性犯罪者に関しては特に。


DVDを見終わったら、もう5時過ぎ。夕飯の支度。なんだか、週末はいつもご飯作りに追い回されている。

夕食は白身魚のフリッターとレタス、ポテトサラダ、自家製コーンスープ。ご飯のお友に「食べるラー油」。デザートはサゴ(黒蜜、メイプルシロップ、きな粉) 

はぁ、疲れた。

2011年9月14日水曜日

おしゃべりで終わった手芸の会

手が痛いから、今日は手芸の会で何も出来ないと思って行ったら、みんな何もしないでおしゃべりだけで、何もしないで終わってしまった。気の合う仲間だから、おしゃべりも楽しくてOK.。でも、次回はもうちょっと生産的に過ごしたいね。


娘が一番行きたい学校について家族で話していたとき、「その学校はね、スキーゲレンデも凄く近いんだって。凄く近いから、歩けるし、バスでほんの30分なんだって」。このコメント、なんかおかしい。

たとえ雪道を行くバスであろうと、30分かかる場所が歩ける距離なのであろうか。

とにかく田舎にある学校。大学のある町は、もう村といっていいくらい。だから、学生のほとんどが四年間寮生活を送る。親にとっては理想的な場所。誘惑するような危険な場所(盛り場?)が全くないわけだから。もちろん、大学内が100%安全なわけじゃないけれど、大学内の危険はどこの大学に行ったてあるわけだからね。

そこの合否が分かるまでにあと三ヶ月もない。まだアプライもしていないから、取らぬ狸の皮算用だけれど、そこに受かるといいなぁ。でも、難関校だからね。

2011年9月13日火曜日

外側上顆炎?

腕が痛い。もう何をしていても右腕の痛さが頭から離れない。左腕も右ほどじゃないけれど、痛い。

何かするとき、常に痛みが起こらないかどうか、気にするようになってしまった。
冷蔵庫を開けたり、棚から物を取ったり、刻んだり。

パソコンのキーボードを打っていても、右側にかすかな違和感を感じている。

腕が痛い、肘が痛いなどと検索していたら、外側上顆炎という病名にあたった。当てはまる症状がある。でも、ぜんぜん違う症状もある。私の肘はまだ軽傷で発展途上なのか。


でも、もう手芸もやる気がなくなってしまった。明日の手芸の集まりで、私は何をしたらいいのかしら。おしゃべりだけかな。トホホ。

2011年9月12日月曜日

日本人保護者会

娘の学校には日本人がかなりいるので、日本人保護者会なるものが存在する。

加入は任意なので、年々加入者が減ってきているらしい。私が代表を務めていた2004-5年度には80家族以上が加入していたが、名簿を数えたら今年度は62世帯のみ。在学世帯数も減っているのかしら?

今日は今年度の第一回の総会。顔合わせなので、一人一人自己紹介。12年生の親は四人しか来ていなかった。三人の方たちが私より在比年数が長かった。

まだ在比が2,3年くらいの方たちはやはり初々しく感じる。学校歴が5年を超えた方はなんだか誇らしい様子。そんな次期が自分にもあったなぁと懐かしさを感じてしまった。


在比6年目にはいった友人がつい最近、5年働いていたメイドさんを解雇した。料理の上手なメイドさんだったが、態度も大きいし、存在自体が鬱陶しくなってきたそうで、契約を更新しなかったそうだ。で、メイドさんのいない生活を十日ほど送っている彼女が、だんだん疲れてきている。一週間経った頃様子を聞いたら、「うん、何とかなっている、やっていけそう」と言っていたのが、「もう食事作りに追われて、ネイルサロンにもいけない」と。

「この5年間が楽してきたのよ!」とちょっと意地悪い気持ちになってしまった。私はもうその食事作りに追われる日々を13年近く送っている。在比が13年になろうとなんだろうと、相変わらず、ネイルアートも楽しめない、ちょんちょんの、すぐ折れる爪だし。料理をまじめにしていたら、爪は伸びない。

だからって、料理上手なメイドさんを雇う気にもなれないから、自業自得なんだけれど、私の場合。

料理好きだし、娘や夫が「これ美味しいね」と言ってくれるのが嬉しいから、自分で作りたい私。苦労を自分で背負い込んでいる。けれど、これが私。そうじゃないと、家族にとっての、自分の存在理由を失いそうだから。


そういえば、今日は中秋の名月。お団子を作り、ずんだ餡(枝豆)を作って添えてみた。ずんだ餡は改良の余地が多々あり。


2011年9月11日日曜日

パンケーキと「死の町」

昨日の朝、土曜日にしては早起き(9時半)をした娘が、朝食にパンケーキをリクエスト。これから作ったら10分はかかるよと言ったら、じゃ、いらない。

今朝も9時半ごろには起きるかなと思って、私も食べたかったし、久々にパンケーキを作った。やっぱりちゃんと粉・卵・牛乳から作ると、おいしい。

150gの小麦粉で小ぶりのを6枚。ピーナッツバターとメープルシロップをつけて、しっかり二枚食べた。美味しかった!

パンケーキを食べながらNHKを見ていたら、政治討論会の時間。鉢呂経産大臣が辞任した件について話し合っていた。「死の町」発言とか、「ほら、放射能!」って言って服を擦り付けるとか、やっぱり軽率ね。政治家は公の場での発言・言動は本当に慎重にならなきゃいけない。原発周辺の町は確かに人っ子一人いなくて、死んでしまった町のようかもしれない。でも、原発事故のせいで「死なされた町」あるいは「時間を止められた町」なのだから、「死の町」はないね。

10時すぎ、やっと娘も起き、夫も朝食に出てきた。こんな時間に朝ごはん、それもシロップたっぷりのパンケーキ食べると、お昼にお腹すかないのに。私だけが空腹になって、お昼を外でエンジョイしたいのに、二人はきっと、家でお蕎麦くらいでいいと言うに違いない。あぁ、つまらない。

2011年9月10日土曜日

アトピー友だち

昨日、マニラで知り合ったアトピー友達と久々にランチ&お茶。

私が脱ステで苦しんでいた2008年に、彼女と知り合った。年齢が近かったこともあって、今ではすっかり仲良しに。

彼女はお子さんがいらっしゃらないこともあり、自由に日本とマニラ、そして他の国へと行き来している。先月は一ヶ月ほどアメリカに行っていた。妹さんが活躍中の画家。その展示会(at LA)のお手伝い、そして、16年ぶりくらいに東海岸もご主人と回ってこられたそうだ。うらやましい!

例によって、夫同士が同じ機関に勤めているから社内の話題や老後の生活について話したり、話題は尽きない。

お昼をオフィス内のカフェテリアで済ませ、お茶は隣にあるモールのSecreat Recipeで。好みのケーキをオーダーして、2時間ほどおしゃべり。

ここのケーキは地元の店にしてはやや高めだが、Red Ribbonとかに比べて格段美味しい。そして甘すぎない。紅茶とケーキで180ペソほど。美味しかった。見渡した限り、お客さんは全員フィリピン人。一人で入って、ヌードルを食べている人も居た。女性向き?

同じフロアーのその先にあったAlexandreは開店したと思ったら、すぐ閉店してしまった。我家の隣のモールのスーパーに入ってたAlexandreもいつの間にか撤退。Alexandreの胡桃いっぱいのパンが好きだったから、ショック!Fortの本店にまでわざわざ買いに行かなければならなくなってしまった。路駐が出来ない(すぐに捕まる)から、わざわざ30ペソ払ってパーキングに入れて、170ペソぐらいのパンを買う気にはならない。残念。

この国の問題は、この回転の速さかも。あのデリカテッセン&パンのMickeysも8月に閉店してしまった。パン屋さんの方は、Alexandreの後に隣のスーパーに入るらしいけれど。Mickeysのパン屋さんのEnglish Muffinが私は好きだったから、一日も早く開店して欲しい。

お気に入りのパン一つ買うにも、あちこち行かなければならないこの事情。食べ物の買い物で時間がとても取られる。新鮮な魚はドライブ7時間だし。


2011年9月8日木曜日

刺繍、完成!

できました!


縁取りは柵をイメージして茶色に。

腕・手が痛いけれど、もう勢いでやってしまえ!と、仕上げてしまいました。

初作品にしては上出来ねと、自己満。

来週、手芸の仲間に見せたら、母に送ろうっと。

手芸の仲間たち

水曜日はいつも手芸の会。メンバーの家を交代に会場にして集まっている。

気が付いてみると、メンバー全員が夫の勤める組織のスタッフの奥さん達。日本だったら、上下関係もあったり、先輩後輩といった関係もあったりして、その奥さん達が毎週集まっていたら、堪らない会になっていそう。でも、その組織は大きいし、国際機関だから、メンバーの夫が同じ部署ってことがあまりないし、ありがちな上下関係のいやらしさも存在しない。だから、奥さん達も気楽に付き合える。

その組織の本部がここマニラだから、当然、マニラ滞在も長期になってくる。ゆえに抱える問題も共有できるし、付き合いも長く続けていける。そんなわけで、メンバーの中には私との付合いが十年を超える人が二人もいる。日本に居たときは、十年を超えるお付合いをしていた人は高校・大学時代のごく少数の同級生だけ。

以前は皆でパッチワークをしていた。みんな、何かを作ったり、手仕事が好き。でも、パッチワークは時間と手間暇がかかり過ぎて、この頃は誰もやっていない。こちらのバザーに行ったりすると、非常に安くキルトとかが買えちゃったり、注文できたりするから、なお更、やる気が失せてくる。

で、この頃は、それぞれ自分の好きなことをやっている。

私は今、刺繍。母がラップトップのPCを買ったので、使わないときに上に載せておくカバーを作ってあげようと思っている。
                  青木和子さんの「旅の刺繍」からのコピー

30cm×20cmに仕上げる

ちなみに、私のラップトップ・カバーはこちら。
四年前に作ったから、薄汚れて、色もあせてしまった。新調しようかしら。

刺繍は楽しくて、一週間ほどで仕上げようと思っていた。ところが、右肘から指先にかけて痛みだし、ちょっとでも右手を使う作業を続けると、痛みが強まる。右手の使いすぎ?過労?老化?

ギターの練習も出来ないし、手芸も出来ない、料理も刻む作業は辛いし、あぁ、いったい何をしたらいいのかしら。

2011年9月6日火曜日

飲酒・喫煙依存症からの脱却

今朝、学校で飲酒および喫煙等の依存症からの脱却(もしくは防止)についてのスピーチ(by FCD)を聞いてきた。

娘がその道に進むことはないと思うけれど、ここ数年、娘がこのFCD(Freedom from Chemical Dependence)の話をよくしていたので、今年が最後と思い、聞きに行った。

飲酒も喫煙もしない私には関係ないと思って聞いていたが、「なるほど!」と思う点がいくつもあった。

「あぁ、疲れた。ビール(お酒)が飲みたい(飲まなくっちゃ)!」という言葉は子どものいる家庭では禁句だそうだ。”ストレス→飲酒で解消”が子どもの心に刷り込まれてしまうそうだ。毎晩欠かさず飲む夫に注意しておこう。

「周りの皆が飲むから飲まないわけに行かない」 皆って、本当に皆? 調査によると、大学でも高校でも、飲まない人のほうが俄然多いそうだ。

「マリファナは 合法化されている州もあるからタバコより安全」 ではないそうだ。常習性はタバコの方が強いが、脳の発達に与えるダメージはマリファナの方が圧倒的に強い。成長途中にある子どもの脳の成長を阻害する。医療目的等、一定の条件のもとに合法化されているのであって、子どもが自由に吸っていいものではない。

等々、興味深い情報満載。

Q&Aでは、保護者不在時のパーティーでの飲酒問題が浮上したが、パーティー会場に保護者が不在だったら、私は娘を行かせなかった。今日のミーティングに出てくるような親たちはみなそういった警戒を怠ってないだろう。

娘を迎えに行く時間。また、次回。

2011年9月5日月曜日

ギターのレッスン

二ヵ月半ぶりにギターレッスン。

練習不足が顕著。6月に練習していた曲がまだしどろもどろ。

夏休み中に練習しておくと張り切っていたバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」も、ぜんぜん弾けなかった。でも、どの指で弾くかを直してもらったから、練習しやすくなるかな。

手芸のし過ぎ(?)か何かで痛めてしまった右ひじから指までの痛みが、ややぶり返してきた。手芸だけじゃなくて、ギターもできなくなっちゃうの?と不安。また湿布をしておこう。


娘が学校の進学カウンセラーに、東大のPEAKを受験していいかどうか相談してきた。カウンセラーも初めて聞いたわけだから、もちろんNo idea。

日本の大学だから、Target (射程距離内の目標)
国際だから      Safety (いわゆる滑り止め)
15人しか枠がないから、やっぱり Reach? (Reachは、多分無理だけれど、もしかしたら受かるかもという範囲)

カウンセラーもなんとも判断しがたいらしい。 初年度だから、認知度が低いかもね。

娘はとりあえず受験すると言ってるけれど、彼女の中での順位は低いから、受かっても行かない可能性大。東大に受かっちゃったら、是非行ってほしいと思ってしまうのは親の勝手ね。

まぁ、受かるかどうか、全く分からないけれど。

2011年9月4日日曜日

東海岸へ魚を調達に

マニラから三時間半ほど車で行くと、東海岸に出る。

海岸が見えてきたと思うと、程なく、道の左側に魚売り場が出現。



上記は前回行ったときの写真だが、今回は時間が早かったこともあり、様々な魚が売られていた。

肉を食べないことに決めた娘に付き合って、私たち一家は今、夕食には肉類は食べないことにしている。でも、このマニラでは新鮮な魚の調達が大変。しかも、私は背の青い魚のアレルギーに数年前からなってしまっている。

だから、魚を買いに行こうと、わざわざ東海岸まで行ったわけだ。

一週間分くらいの魚を買え!と夫が言うので、マヤマヤ(タイ?)を二匹、ラプラプ、長細い魚を一匹ずつ、大きい海老(マニラで買ったらとても高そう!)を1kg、小エビを500g、イカを1kg 買った。全部で1100ペソ(2200円)。マニラで買うのの1/2~1/3ぐらいだから、ガソリン代が出るかなって感じ。

朝5時半過ぎに出て、12時半前には帰ってこれたから、まあまあ。毎週は行きたくないけれど、たまにはいいね。

でも、魚介類って買って来てからが大変。魚は洗って、個別に容器に入れ、冷凍。海老はひげと足を切り取り、背わたを取って、これも冷凍。イカは腹わたを取り、皮を剥いで、冷凍。1時間半もかかってしまった。(今日はメイドさんもお休み)

さて、今晩のメニューは、小エビの蒸したの(カボス、魚醤、唐辛子添え)、蒸しラプラプ、ほうれん草の胡麻和え、かぼちゃの甘煮、若布とお揚げのお味噌汁。完璧!


2011年9月2日金曜日

東大が「国際」を新設

東大が全部の授業を英語で行う、いわゆる「国際PEAK」コースを教養学部内に新設するというニュースは、日本では8月の初めに既に発表されていたらしいが、娘が友だちに聞いたのが今週初め。

娘が大学で専攻しようかと検討中の環境学がその新設コースの専攻に含まれている。もう一つの専攻は「国際日本研究」。これには全く興味がなさそう。

受験資格は日本語以外の言語で小学校で5年間、中高校で5年間計10年以上の教育を受けていること。

娘はもちろん該当する。

でも、難関。なんせ両コース、各15人ずつしか募集しない。しかも、受験するのは帰国子女ばかりではない。日本で学びたい世界の学生が競争相手。

すっかり受験する気になった娘。果たして、どうなるか。


私としては、、、、 東大は私の父の母校。姉も私も東大には縁がなかった。娘が合格したら、それは嬉しい。でも、正直言うと放射能が心配。それと、果たしてそこを卒業して、どんな将来が待ち受けているのか未知。

去年の今頃まで日本の大学に進むと息巻いていた娘だが、現実的なことを考え出し、進路をアメリカ・カナダの大学に修正した。

理由は、言葉の問題、文化の問題、日本の将来の問題、勉強のレベルの問題、等々。

日本の社会は変わってきているとはいえ、まだまだ男性優位の社会。ただでさえ、帰国子女でちょっと変な娘がその社会で、彼女らしさを失わずに生きていけるのかしら。会社で仕事をちゃんとやっていけるのかしら、と夫ともに心配していたから、「アメリカの大学に行く!」と聞いたとき、ほっとした。日本に帰ってきて欲しいけれど。


だから、この東大のコースは、またまたちょっとした嵐を我家の中で起こしている。

受験生母のブログ開始!

熱帯に暮らして早14年。二カ国目のフィリピンにはもうすぐ13年。長いですねぇ。

最初は仮の暮らしと思って暮らし出したけれど、もう13年も経っちゃうと、これが本物の暮らしなんですよね。今では、年に一度の一時帰国からマニラに戻ってくると、ほっとしちゃったりして。

そろそろ何かこの国で暮らしていたことを思い出せるような何かを残そうと思って、このブログを始めることにしたの。

今年は、四歳でこの国に来た娘の大学受験の年でもあるし。このアジアの片隅の国から、果たしてどこの国の大学に進むことになるのかしら。

8月の初めから学校が再開して、早一ヶ月。二ヵ月後ぐらいにはもう出願書類の提出が始まる。母としては娘の受験にたいして貢献できないけれど、心配だけは人一倍してあげられる(迷惑か?)。

この行き場のない、不安感やドキドキ感、ここに少しでも移すことが出来たらと思う。

受験のことや、日々の暮らしの「あれ?」を記していこう!