2012年12月31日月曜日

紅白を聞きながら

ついに今年が終わるんだなぁと毎年紅白を見ながら思うし、来年はいい年になりますようにとも思う、とても素直な私。

昨年と同様、娘と夫は日本で夫の実家で年越し。私はここで一人で年越し。

寂しいし、つまらない。

でも、一つ気がついた。

昨年と同じように、私の母も義母は元気に暮らせているし、夫も娘も私も元気。家族が分かれて年を越せるだけ、何の問題も抱えてないってこと。誰か一人が病気になったら、私だけマニラに残っているなんてことはない。

幸い、経済的にも誰も困っていない。健康的にも問題ない。精神的にも問題ない。

だから、私が一人で年越しをしているってことは、とても幸せなことなんだって気付いた。


来年もこんな風に年を越せるかな。


ちょっとさみしいと思うことは、私は自分が子供のころ家族で年越しをした場面をいくつか覚えている。幼いころというよりはたぶん中学や高校のころ。だから、娘が将来、子供時代の年越しを思い出すときに、そこに私の姿は無いのかも。

両親と姉と私。こたつを囲んで紅白を見て、トランプをしたり、おみかんを食べたり。日本のどこの家庭にもあるような年越しの風景。娘はこんな風景を知らずに育ってしまった。家族で過ごす年末もあったけれど、ほとんどが海外か国内のリゾート地で過ごしてきた。日本国外のホテルで過ごす年末年始は味気ない。除夜の鐘も聞こえないし。花火とばか騒ぎだけ。

娘がどんどん日本人じゃなくなっていく。


そんな寂しいことを考えるより、やはり今は、今の幸せに感謝。


あ、今紅白で私の好きな「花が咲く」。

しっかりと聞こう。




2012年12月28日金曜日

娘の帰国

娘が18日から26日までマニラに戻ってきていた。

今、日本の私の実家にいる。あさってには夫の実家へ。夫の実家でお正月を過ごし、その後また私の実家へ戻り、6日にはバーモントに帰る。

慌しかった娘の滞在。

今はまだ娘がいなくなったことが寂しくて、娘との冬休みについて記せない。

iPad miniをゲット!

先週の金曜日にここでもiPad miniが正式に発売になった。

いくら待っても発売にならないので、翌土曜日に帰国する夫に日本で買ってもらうよう頼もうとおもっていた。だめ元で隣の建物の一階に入っているAppleのお店に数日前顔を出したら、多分金曜日に入荷すると教えてくれ、とりあえず予約してきた。

金曜日の午後、お店をのぞいたら、なんと展示している。えっ 売り出したの?

なのに、なぜ連絡くれないの?

と、思いつつ、お店の人にお目当てだったiPad mini 32GB, wifi +Cellular  の在庫を聞くと、黒一台が入荷していると教えてくれた。

欲しかったのは白だったけれど、これを逃すとまたいつ入荷するか分からない当地の事情を考えて、即決。

日本で買うのより5千円くらい高かった。でも、8月からずっとタブレット購入を待っていた私の気持ちを察してか、夫はいいと言ってくれた(とりあえず、夫に買っていいかどうか聞いた)


使い心地は満点。ディスプレイがRetinaじゃないというけれど、これが初iPadの私には、全く問題が無い。これを打ち込んでいるPCよりもずっと速いし、いろんなことが出来る。大満足。


ただ、こちらで買うことに固執していた理由の一つだった、Simロック Freeの機能で、一つがっかり。日本のソフトバンクにメールで聞いたところ、海外で購入したiPadはソフトバンクのSimを入れても使えないとのこと。ソフトバンクのSimはソフトバンクで売っているiPadだけに対応するそうだ。ソフトバンク版iPadは、海外ではSim ロックFreeなのに。

しかもそのソフトバンク版iPadも購入後30日以内にソフトバンクに登録しないと、Cellularモードはキャンセルされてしまうとか。登録するためには、もちろん、最初のロードも入れるわけだから、使いもしないのにロード代を払うことになる。そしてきっと継続して入金しておかないとだめだろうから、帰国していないときも時々ロードを入れる羽目になる。

またもやガラパゴス。


こちらでの手続きもおかしかった。Smartでnano Simを購入したはいいけれど、ロードの入れ方が分からない。ロードカードには携帯電話でロードを入れるように書いてあるのみ。ipadには電話機能が無いから、どうやるの?

オンラインでレジスターするよう書いてあったので、マイ・アカウントも作ったけれど、ロードの仕方がわからない。

しかたないから、Smartのお店に聞きに行った。待つこと2時間。やっと順番が回って来たと思ったら、5分もかからず問題解決。なんと、Smartの携帯電話で入力するとのこと。私の携帯は他社なので、今後は夫に頼むか、Smartのロードを取り扱っている店で頼むしかない。

それにしても、オンラインで利用するタブレット(準コンピューター)のロードを入れるのに、オンラインでは出来ず、携帯電話でやるとは。 これもなんか変ね。


日本では使えないけれど、フィリピンではWifiの無いところでも、ネットが使える。国内を旅行したりする私には便利かな。30分10ペソだそうだ。

2012年12月10日月曜日

リコーダー・コンサート

8日の土曜日に、リコーダーグループのコンサートを開催。

今回は総勢8人のメンバーで、インターナショナルな曲を集めて(結果的にそうなっただけ)、9曲を吹いた。

そして、指導、応援に日本から金子健治先生がいらしてくださった。

先生のご指導は分かりやすいし、普段の先生とは違った観点からいろいろ指摘してくださったので、私たちの音も少し揃いいい物になったような気がする。

何とか無事9曲を吹き終え、第1部が終わった。

第2部は先生の独奏。

様々な笛を使って、素晴らしい音色を聞かせてくれた。


その音色の素晴らしさに、お客様もうっとり。小学生のお客さんたちもじっと聴きいっていた。

もちろん先生の笛は高価な使い慣れた物ばかりだけれど、先生の音色は深みが合って、それでいて軽やかで、小鳥の声とも似ているし、心に染み渡るような音色だった。



まるで先生の独奏会の前座のようになってしまった私たちの演奏だったけれど、アンサンブルにはアンサンブルの良さがあるし、なにより吹いていた私たちがとても楽しめたのだから、それでよし!!



2012年12月6日木曜日

ベジタリアン・コロッケ

写真を撮り忘れてしまった。

昨日は友人宅でお昼にコロッケをいただいた。

キャベツとひき肉のコロッケ。とても新鮮でおいしかった。


ベジタリアン・メニューに尽きてしまっている私は、即まねをしてみた。


レンジでチンしたジャガイモと、同じくチンしたみじん切りの玉葱&キャベツ、冷凍してあったヒヨコ豆、ちょっと水切りしたお豆腐、まとめるためのEgg Replacer、水分を吸わせるためのお麩、この全部をフードプロセッサーに混ぜてガーッ。で、その後は水溶きしたEggReplacerを絡めて、パン粉を付けて揚げた。

見事に粉砕されてしまい、ちょっと歯ごたえに欠ける軟らかいものになってしまった。
次回はFPを短めにし、茹でたコーンを最後に加えて作ろうっと。

揚げ始めて気付いた。塩&胡椒を入れ忘れ、全く味の無いものが出来上がってしまった。
ソース好きの夫は喜んで普段よりも多めにソースをかけて食べいたけど。


とてもおいしかった。


最近読んだ小説の主人公が凝っていたお味噌汁を作ってみたら、思いのほかおいしくて、それをリピート。

中身を入れずにお味噌汁を作り、最後に納豆と1cmぐらいにきったにらを入れたお味噌汁。

昨晩は大根が余っていたので、千切りにして軟らかく煮てから、味噌とだしを加えて、納豆とにら。

これもとても美味。


この頃ご飯は麦を加えた麦ご飯。このお味噌汁と麦ご飯、とても相性がいい。



2012年11月25日日曜日

やっぱり厳しいね、こちらの医療

日頃から目が弱い友人が、急に目の状態が悪化したらしく、急遽帰国した。

目の調子が悪く、こちらの眼科で出してもらった薬を差したら、更に状態が悪化したらしい。

もう帰国されて、かかりつけの眼科医に診てもらったでしょうから、快方に向かっていると願っている。


ありがちな話。


私も先週、指の傷で日本人会クリニックに行って、日本人の医師に診てもらった。普段めったなことでは医者に行かないので、ついでにいろいろな懸案事項を相談した。

懸案事項その1

足の指の間がNY旅行中からジクジクと膿んだようになり、抗菌剤やステロイドを塗っても治らず、もう三ヶ月近く悩んでいた。以前にもなったことがある症状だっただけに、特に皮膚科に行くわけでもなく、日にち薬を決め込んでいた。

日本人医師に相談したら、すぐ組織を顕微鏡で見てくれ、菌を発見。それに効く治療薬を出してくれて、塗った日からもう状態が好転してきて、一週間経たないうちにとても綺麗に治ってしまった。

以前、同じ症状が両足の甲全体に広がったときに、こちらの皮膚科医は組織を調べるでもなく、軽めのステロイドを処方しただけで治るのに半年かかった。アプローチが全く違う。


懸案事項その2

7月に受けた健康診断で白血球の数が基準値を下回っていると指摘を受け、医師に相談するように言われた。婦人科検診で相談した婦人科医がまともそうだったので、その旨を相談すると、再度血液検査を受けるよう処方してくれた。「いつ」とは指定しなかった。また、白血球が少なくなる原因についてなどの説明は一切無いし、私に何か自覚症状があるかどうかも聞かなかった。

日本人医師に相談したところ、白血球数が少なくなる原因のいくつかを簡単に説明してくれ、他の数値にも目を通してくれた。そして即検査をしてくれ、前回よりは数値が上がってきていることが分かったので、さらに二ヶ月後くらいに再検査をすることになった。血液は二ヶ月ぐらいで入れ替わるので、そのくらい間をあけないと検査をしても意味が無いそうだ。

普段健康なので、あまり心配はしていなかったけれど、今回受診して、更に気持ちが楽になった。


この国では、やはり病気になりたくない。

私はとりあえず英語で医師とやり取りが出来るから、日本人会クリニックには特に用が無いと思っていたけれど、言葉の問題じゃないことが今回よく分かった。これからは、やっぱり日本人会クリニックに行くことにしようっと。

娘の感謝祭初体験

在米中の娘、感謝祭の休みは学校に留まって過ごしている。

感謝祭当日は、地元出身の子の家に招待され、一晩を過ごしたらしい。

青い目・金髪のニューイングランドのご家庭。製材所を経営しているご家庭で、広い敷地に馬も飼っていたらしい。ご家族も歓待してくださったそうで、とても楽しく過ごしてきたらしい。。

私や夫は四年もアメリカで暮らしながら、一度も感謝祭ディナーを味わったことがなかった。

だから、娘がとてもアメリカンな体験を出来たことに感謝!!


面白かったのは、そのお宅にやはり訪れたお祖父さんが娘を見て、
"At least, you are not a nigger" 「黒人じゃなくてよかった」と言ったこと。

特に人種偏見があったわけでも無いらしく、また多人種がお互いに気を使いながら暮らしたことがあるようではなく、外国人の子が来ると聞いて思い浮かんだのが、たぶん黒人だったようだ。で、あぁ黒人じゃないんだと素直に反応しただけらしい。

そのあと、お祖父さんは外国人の娘に「マッシュド・ポテトは食べたことあるか」、「こんな食べ物は見たことがあるか」等々を聞いていたらしい。ちょっとおかしい。

アメリカ人と結婚している友人が、感謝祭のディナー用にチーズケーキを作って持って行った際に、「日本のレシピで作った」と言ったら、お義母さんが「え?日本にもチーズケーキあるの?」と聞かれたと、聞いたばっかりだったので、あぁ、やっぱりアメリカ人って視野が狭いと思ってしまった。

ま、日本人の私たちも他の国の文化、特に東南アジアの文化とかを下に見る傾向があって、無知をさらけ出していることも多いけれど。


2012年11月15日木曜日

ウナギの蒲焼缶?

土曜日にお豆腐を買いに行く、台湾系のお豆腐屋さんで夫が見つけた缶詰。

鰻の字に惹かれ、買ってみた。

辛い味と書いてある通り、辛かった。

とてもじゃないけれど、夫と半分こもできず、ふた切れぐらいしか食べられなかった。

でも、ご飯のお供にはいいかも。

日頃缶詰を買ったはいいけれど、開けずにとっておく傾向のある私がすぐ試してみようと思ったのは、今晩のおかずがご飯と合わないような気がして。

おかずは具沢山の豆のスープ(人参、玉葱、コーン、セロリ、豆数種類)、ヒヨコ豆のサラダ(ヒヨコ豆、パセリ、キュウリ、玉葱、トマト、レモン汁、オリーブオイル、塩コショウ)。

このおかずではご飯が食べにくい。でも、夕食だからご飯も食べたい。そうだ、あの缶詰、開けてみようってわけ。

夫いわく、缶詰は変な添加物や保存料が入っていない、はず。日本ではそう決まっているらしい。でも、台湾製、どうかな。台湾だから大丈夫かな?


2012年11月14日水曜日

豆腐マヨネーズ

今晩の夕食は、魚の竜田揚げ、にらと自家栽培のもやしのナムル、豆腐マヨネーズディップ、オニオンスープ、枝豆ご飯。



なんだか、めっちゃくちゃな献立。

見た目もよくないね。もうちょっと盛り付け方を工夫しなければ。

こんなめちゃくちゃな組み合わせになったのには理由が。

日曜日に作ったローストベジタブルのスープストックが傷みそうだったから、どうしても今晩使いたく、豆のスープにしようと思っていたところ、夫が竜田揚げが食べたいと言い出し、竜田揚げと豆のスープではあまりにもヘビーということで、オニオンスープになってしまった。普通のオニオンスープと作り方はほとんど一緒だけれど、オイルの使用を極力控え、塩分も控えた。前回作ったときにパンとチーズを乗っけたら、パンがスープをほとんど吸ってしまったので、今回はパンは省いた。

豆腐マヨネーズを作るのは三回目。毎回レシピが違う。今回のは手軽に作れるし、カロリーも練りゴマを使った分より低いかも。

材料は絹ごし豆腐、レモン汁、オリーブオイル、パセリ、麩(水分の調整のため)、塩、こしょう。

水分の調整のためにお麩を入れるのは、NHKの「あさいち」で大根おろしの水分を吸わせるといいと紹介していたことにヒントを得た。味に影響を与えないし、存在感無いし。でも、しっかり豆腐の水分を吸い取ってくれたので、いい具合のトロトロになった。美味!

昨晩茹でた枝豆をおしょうゆ味でサッと煮て、炊きたてご飯に合えたのもおいしかった。

魚、マヨネーズの豆腐、枝豆、これでちゃんとたんぱく質取れたかな。
ベジタリアンをやっていると、たんぱく質がちゃんと取れているかどうかが気になる。
私はまだ昼間、外で肉類を食べることも多いので、大丈夫だと思うけれど、お弁当の夫はせいぜい小さいお豆腐(mini Tokwa)だから、心配。



2012年11月12日月曜日

ようやく復活

ようやく体調が良くなってきた。昨日位から熱っぽさを感じる回数が減ってきて、元気とやる気が出てきた。

高熱を出した後、体調が回復するまで一週間以上かかってしまうなんて、やっぱり歳かなぁ。

肩こりがひどくなっていたので、ジムへ行って軽く運動。特に肩こりのための運動をしたわけじゃないけれど、肩の辺りが軽くなった。運動不足を少し解消。


相変わらず、ベジタリアン食は続けている。

昨日の昼食はWrap。お豆のカレーやらチリビーンズ、フムスなど冷凍になっていた物を取り出して、生野菜を加えて、簡単に。

朝から野菜(人参、玉葱、セロリ、パセリ)をローストして、その煮込んで濾して、野菜スープを作っていたので、くたくたになった野菜をブレンダーでピューレ状にして、豆乳とスープを加えてポタージュスープも作った。油脂を使わなかったので、あっさりとした優しいアジのポタージュに。


夜はお鍋。マーケットで買ってきたシーラ(?)の切り身とお豆腐、レタス、キャベツ、ねぎ、しいたけ、エリンギ。レタスとキャベツはお鍋に入れると美味しいと、それぞれ本(キャベツは玉村豊男さん)で読んだので、あえて白菜を使わなかった。でも、あっさり味の鍋にはやっぱり白菜が入ったほうがだしが出て美味しいように思った。たれは自家製ゴマだれ(練りゴマに麺つゆとだし)や豆腐乳(台湾製)、ポン酢醤油。 エリンギは味が淡白なので、あまり鍋には合わない。


今晩は、お魚のすり身(ダラガン・ブキットを三枚に下ろす)にお豆腐を加えて、自家製つみれ(?魚バーグ?)を作ろうっと。

2012年11月8日木曜日

体調不良

日曜日の午前中にコロン島から帰ってきて以来、体調が悪い。

熱があるわけじゃないのに、熱っぽいし、頭の芯の辺りがボーっとしている。身体もだるい。


動き回る気にならないので、ジムには行ってない。。運動不足かな。

昼間は友だちと会ったり、ランチに出かけたり、買い物に行ったり。でも、それが終わって帰ってくると、もうぐったりしてしまっていて、20分のお昼寝に直行。


コロン島の写真や夕食の写真もアップしようと思っているんだけれど、PCの遅さに付き合っていられない。

今は休息の時!と観念して、ボーっとしてるべきか。

2012年10月26日金曜日

タブレット、どれを買っていいのか、悩みまくる

タブレットを8月のお誕生日に買おうと思い立ってから、はや四ヶ月。

アメリカでipadを買おうと決めていたら、マイクロソフトがSurfaceというタブレットを売り出すと聞き、その発売を待って性能を確かめてから、どちらを買うか決めればいいと思っていた。

Surface vs ipad  この二種類のどちらか。

と、思っていたら、ipad mini が出てしまった。

ipad mini は、ipadよりも二周りくらい小さい。片手で持てる、バッグに入る、軽い、iphone/itouchよりも大きい(約四倍)。値段も安い。

というわけで、また選択肢が増えてしまった。どうしたものか。


ipadに二の足を踏んでいた一つの理由は、カメラで撮った写真が入力できないということだった。でも、Appleのサイトを見ていたら、なんとカメラに繋げるアダプターを売っていた。

この発見によって、ipad購入に向けてほぼ固まってきたように思う。


次はサイズ。そして、Cellularタイプにするかどうか。

ここでも発見。Cellularタイプにした場合、どうやら契約ではなく、プリペイドらしい。ということは、日本にいる間だけ使うことができる。 でも、日本じゃなきゃ、使えないよね、きっと。このフィリピンにipad miniが来るのはいつのことか。そして、Cellularタイプはどうなるのか。

出先で使うことが多いipad。しかも今の世の中、人は世界中を飛び回っている。なのに、なぜ、一国だけでしか使用できないようなCellularタイプになるのかしら。どの国に行っても「その国のプリペイドSimを買えば、すぐ使える」っていう風にはならないのかしら。


夫がもし年末に帰国するなら、日本で買って来てもらおうか。

それとも、値段が一番安そうな、アメリカで娘に買って来てもらうか。

フィリピンで売り出すのは当分なさそうだから、アメリカか日本。



あぁ、悩みは尽きない。

野菜のスープカレー

今晩は野菜のスープカレー

野菜(オクラ、ナス、ニガウリ、パプリカ、ピーマン、細インゲン、ズッキーニ)は切って天パンに並べ、オイルをスプレーしてグリル。

カレースープの方は、ニンニクと生姜のみじん切りをたっぷり炒め、玉葱の薄切りとトマトを加えてくたくたになるまで炒めて、香辛料とだしを加え、ヒヨコ豆の水煮も加え、くたくたになるまで煮た。だしは兵六のだし。仕上げにガラムマサラ。


トッピングに例によってゆで豆腐。

好みの野菜にカレースープをかけて。

このほかに、昨日購入したベンゲットのとうもろこしの茹でたの。スーパーで買うのより大きくて、甘くてとてもおいしかった。


お豆腐の肉詰め

確かそんな名前の料理があったような気がした。

肉の代わりに何か他の物を詰められないかしらと考えて、昨夜の夕飯にひじきと人参とつぶしたヒヨコ豆を詰めてみた。つなぎは Egg Replacer(卵の代用品)と片栗粉を使ってみた。



味付けは甘めのだし。とろみをつけて、ゆでた小松菜を添えた。

他には、とろろ、根菜の煮物(あまり物)、油揚げと大根ほうれん草のお味噌汁。


とろろは、こちらのマーケットで買った中国産の長いも。里芋と違って、ちゃんとした長いもで、すっても、刻んでもおいしかった。



2012年10月24日水曜日

お豆のスープ

インド人の友人から教わった豆スープミックスを使って、今晩はお豆のスープ。



スープミックスに人参、ズッキーニ、パプリカ、セロリ、ニンニクを加え、ゆでた木綿豆腐をクルトン代わりに(ならないか、)添えた。

サラダには、アボカド、玉葱、キュウリ、パプリカ、トマト、レモン汁、レタス、そしてすっかり同じみになった、芽を出した緑豆。あっさりしていて、歯ごたえがいいから、このサラダはとてもおいしく感じる。

ご飯は写真では分からないけれど、棚田で有名なバナウェ辺りで採れるオーガニック・ライス。炊きたては日本米のようにつややかで、芳しい香りもしていた。

キュウリは三五八漬け。これは飽きないおいしさ。漬けだして三週間。この頃いい具合に漬かるようになって来た。


昨晩の夕食は 日本から持って帰ってきたアジの干物。(夫が食べだしてから写真を撮ってないことに気が付いた) したがって、昨晩はVeganではなかった。


ほうれん草と自家製もやし、青じそのポン酢醤油和え、ジャガイモと玉葱のお味噌汁。

野菜のディップは、韓国味噌の一種(茶色い箱)に刻みねぎを合わせた物。コチジャンは辛いけれど、こちらは辛味が柔らかくっておいしいお味噌。

昨日、昼間に韓国人の友人に頼んで韓国食品店に寄ってもらった。そこで教えてもらったのがこのお味噌。今朝、固めのお豆腐(Tokwa)をこのお味噌で炒めてお弁当に入れた。ニンニク臭くないからOK。

2012年10月22日月曜日

今夜は根菜料理

土曜日に行くマーケットで里芋(再挑戦!)と竹の子を手に入れたので、今夜は根菜料理にした。


根菜は里芋、竹の子、人参、ごぼう、大根、凍り豆腐(自家製)。昆布だし。炒り鶏のようにお肉が入らないから、ややあっさり系。

里芋は以前は時々買っていたのだが、食べると舌がぴりぴりすることが二回ほど続き、ちょっと怖くなり買うのを控えていた。でも、マーケットで里芋を目にした夫はその体験を忘れたらしく、たまには買ったらぁ、などと言ったので、恐々買って料理してみた。こちらの里芋は、はっきり言っておいしくない。香が違うし、独特のぬめりも今ひとつ。いわゆる「ごりいも」(え?ごり芋なんて表現ない?)。

今回の里芋も然り。期待を裏切らなかった。おいしくない。ぴりぴり感はないけれど、なんとなくぴりぴりしてきそうで、身構えて食べることになり、夫も私も二つぐらい食べたあとはもう止めようとの結論に達した。

こんにゃくもこちら産。歯ごたえが今ひとつ。ほうれん草は茎の部分が多いけれど、これはまあまあ。


週末は忙しくて、食事の写真を撮り損ねた。

土曜日のお昼はラップ。全粒粉のトルティーヤに、レタス、サルサ(玉葱、キュウリ、トマト、アボカド、香菜、レモン、オリーブオイル、塩、胡椒)、きゅうり・パプリカ・アボカド・セロリの細切り、チリビーンズ、フムス(ヒヨコマメのペースト)を乗せて巻いて、食べた。これは美味。

夜はこの暑いのに鍋物。具はお豆腐(木綿&絹)、白菜、ねぎ、シメジ、レタス。自家製のごまだれ。ポン酢醤油。これもおいしかった!

日曜は滝を見ながら、ベーグルサンド(ピーナッツバターとマーマレード)、バナナ、ブドウ。

帰宅途中に休憩を兼ねて入ったレストランで、4時前なのに空腹ゆえ、お店の名前のついたチャーハンと蒸し野菜のバゴオン(アミの塩辛)味を二人でむさぼり食べてしまった。


帰宅後もお腹がすかないので、ドライブ途中の道端で買ったランブータンやクッキーなどでごまかしてしまった。ドライブ途中、ランブータンがたわわになっているのを何度も見かけた。旬の果物 1キロで50円。


滝巡り


フィリピンで使えるナビ・システムを入手してから、夫と毎週末ナビを使ってドライブを楽しんでいる。

先週、今週とマニラ周辺の滝を四つ巡ってきた。上の写真はマニラから南東に下ったところにあるブンガ滝。ナビがなかったら行き着けなかったような場所。

先週は三つ、訪れた。一つは東海岸沿いの道沿いにある滝。名前を控えるのを忘れてしまったけど、先客がいたけれど、静かな滝だった。

その後訪れたのは公園内にある滝。
乳白色の水がきれいな滝だったが、公園になっていたこともあり、とても賑わっていて、あまり観賞する雰囲気ではなかった。

ここから奥にちょっと歩いていったところにもう一つ滝があるはず、と公園の従業員に聞いたところ、案内してくれた。進入禁止の札をどけて入り込み、5分くらい歩いたところに、バトラス滝。

この滝を見に行くのに、入場料が別途徴収され、ガイド料も込みよと言われたけれど、ガイドのおじさんは私たちが歩きやすいように、流れに石を置いてくれたり、本来入れないところに入らせてくれたりしたから、別れ際にお心づけを別途あげた。お金がいろいろなことに便宜が図られるこの文化、居心地がいいのか、悪いのか、悩むところである。

2012年10月19日金曜日

もやしを育て、赤もち米の玄米に挑戦

インド人の友人に教わって、緑豆からもやしを作ってみた。発芽した豆は栄養価が高まっているとのことで、ベジタリアンには都合のいい食材らしい。



今晩はこのもやしをお湯をかけただけで生のままサラダに加えた。


黒っぽいのは赤もち米の玄米。それにグルテンで作ったソーセージの煮込み。温めたお豆腐に台湾製の豆腐乳(金山時味噌みたいな味)


この豆腐乳はアルコールがだめな私にはかなりきついお酒の味がした。

赤もち米の玄米は、半日水につけたあと炊飯器の玄米モードで炊いたけれど、1時間半経ってもまだスイッチが切れないから、途中で切ってしまったけれど、問題なくもちもち。ただ、強烈なので、あまり量が食べられなかった。

2012年10月18日木曜日

内食はベジタリアン

娘が昨年の夏のNYでのサマーキャンプを終えてから、ペスカタリアンになった。

食肉を生産するために自然が破壊され、高コストをかけて運ばれてくる。エコじゃないとの理由から。

でも、魚は食べると言って、我家はそれから一年間、家での肉食はほとんどしなかった。


娘が大学に行き、肉食解禁!とばかり思っていたら、今度は夫がベジタリアン宣言。

6月に受けた健康診断で悪玉コレストロールが異常に高く、薬を服用するよう医師に言われたらしい。薬嫌いの夫だから、何とか食事でコントロールできないかといろいろ調べた。

コレストロールは体内でも作ってしまうけれど、外から入ってくる量が減れば、絶対量は下がると考えたのか、コレストロールゼロ食宣言をし、肉・乳製品・卵を一切断つことにした。

ただし、魚の脂は身体にいいとのことから、魚は週2,3回くらいなら食べる、そうだ。


というわけで、9月末に私がこちらに戻ってきてからは、食事は、ベジタリアン(魚時々)。


今日のお弁当のメニューは、 豆腐ステーキ(照り焼き)、ナスの甘辛焼きエリンギのアンチョビソテーアスパラガスの梅肉和えキュウリと青じその昆布茶和え


そして今晩のメニューは、キムチスープ(キムチ、白菜、キャベツ、豆腐)、豆腐と青菜の塩麹炒め長いもと海苔のポン酢和えヒヨコマメの甘煮キュウリとなすの三五八漬け


何をどうやって作ったか忘れてしまいがちなので、可能な限り、こちらに載せることにした。




2012年10月16日火曜日

秋の便り

娘から秋の便りが届いた。




メールアカウントがハッキング?

私が長年使っているメールアカウントがハッキングされそうになった。

Someone recently tried to use an application to sign in to your Google Account,

なんてメールが届いて、中国のどこそこからハッキングの試みがなされたとレポートしてきた。

怖ろしくなって、慌ててそのレポートに記してあったリンク先からパスワードを変更。

でも、今朝になって友人がリンクにアクセスしちゃだめ、そのレポート自体が偽物である可能性が高いからと教えてくれた。

焦って、またパスワードをアカウント内から変更。


こんなに何回も変更しているうちにパスワードが分からなくなったらどうしよう!との一抹の不安も。


でも、今、日本をにぎわせている件があるから、やっぱり慎重にならざるおえない。怖いねぇ。

2012年10月8日月曜日

娘の誕生日

初めて娘が不在の娘の誕生日。やっぱり寂しいね。

夫と二人で写真を撮って、お誕生日のカードのようにして夫が娘に送ったらしいけれど、やっぱりメールやネットでのやり取りでは寂しい。

娘と12時間の時差というのはやっぱり辛い。あちらの朝はこちらの夜。娘の都合のいい時間はこちらの夜11時ごろらしい。私はほとんど夢の中。なかなかSkypeもできない。



友人が早い子離れ、親離れがうらやましいような、そうでないようなとのコメントをくれた。

娘を小学校に5歳で入れたときから、覚悟はしていたけれど、たしかに18歳になる前に手元から離してしまったのは、はたしてお互いに取っていいことだったのかどうか。

もちろん、高校からボーディング・スクールとかに行ってしまう子もいるわけで、別に極端に早かったわけではないけれどね。

一人っ子だから、自主自立した女性になって欲しいと願って育ててきた。その通りに育ったようにも思うけれど、親としては寂しいことになってしまったようにも思う。

将来、私たちが老いて、娘の存在を近くに感じたくなったとき、果たして娘は私たちを受け入れてくれるのであろうか。


などと、考えると、じゃあ、私は自分の母を精神的に「近く」感じているのか?

今年82歳になった母を私は今までと同じように突き放しているのではないかしら。どんどん老い先短くなっていく母(たとえ長寿の家系でも)ともっと近い関係を持たなければならないのではないかしら?と、この頃思う。

でも、母とはどうしても性格が合わない。おまけに母と二人の時間など過ごせる状況にない。

いつも他人がうろうろしている実家では、母と昔話に興じることもできない。居心地が悪いので、私も帰郷時でもほとんど家にいないようにしている。姉も然り。

母も寂しいのだろうか。他人でもいいからずっとそばにいて欲しいのだろう。普段、近くにいない私たちが母の普段の生活に文句をつけるわけには行かない。私たちの帰郷時ぐらい遠慮して欲しいとも友人たちに言いづらいのであろう。

ただ、こうして母に近寄らないまま、母が逝ってしまったら、私はやはり後悔するんじゃないかしら。

娘は一人でどんどん育ってゆく。これからは、すこし母に焦点をシフトした方がいいのかもしれない。


娘の誕生日の日に、母と自分の関係を考えてしまうなんて、やっぱり私自身も歳を取った証拠ね。





2012年10月1日月曜日

ブログ再挑戦

ブログを書くぞ!って去年始めたのに、またもや遠のいてしまった。反省

言い訳になっちゃうけれど、やっぱり一時帰国したり、アメリカに娘を送りに行ったりで、ネットからは離れるし、多忙だったし。自宅にいてもネットが遅かったり(PCのせい?)で、ついつい後回し。

反省を期に、そして、時間的余裕ができた(はず)のだから、やっぱりつれづれと書いていきましょう。

そう、娘がいなくなって時間的余裕ができたはずなんだけれど、時間の使い方が下手なのか、まだ時間に追われている。変。


今朝、友人三人と朝ご飯を囲んでおしゃべり。(ほら、これも時間の下手な使い方!)

メンバーの一人が11月末には第三国へ転勤となる。彼女の子供は二人とももうアメリカの大学に進学してしまった。つまり、ご主人と二人で新天地へ。子供がいると、子供関係で友人を作るのが容易い。でも、子供がいないと、友人を作る糸口が、、、やっぱり「子はかすがい」。

私も、新しい人に知り合うきっかけが極めて減ってしまった。夫の職場のミセス会はとうにやめてしまったし。今更戻る気にもならないから、その方面で新しくいらした方と知り合うということも無い。

あっ、でも新しくいらした方と先週お会いした。たぶん歳も近い。お子さんのいらっしゃらない方。何でもお料理やお菓子作りがプロ級とか。そのうちお宅に呼んでくださると聞き、とても嬉しい。いろんなことを教わる機会も増えそう。私の側にも私に会いたいと思わせるような「何か」が有るといいんだけれど。そうじゃないとなかなか親しい友人ができないから。

と、書いているうちにもう10時を過ぎてしまった。本当は娘の大学のこととかもっと書きたいが、それは後日にして、おやすみなさい

2012年7月7日土曜日

あれれ?消えてなかった

昨日の書き込み、消えてなかった。でも、どうしてだろう。さっき見たときは消えていたのに。

今朝は4時20分に起きた。娘がお盆の頃、京都に住んでいる友人を尋ねるというので、新幹線の指定席を取ったほうがいいと思い、えきネットで予約するためだった。そんな時間に起きると、やっぱりその後は寝付けない。それに娘からのメールが来てないことがわかっちゃったりしたら、もうだめ。

洗濯をし、クロワッサンを食べ、ブログを記入。それでもまだ6時。 週末マーケットに行くまでまだ1時間ある。何をすべきか。

あれれ?昨日書いたのが消えてる

昨日久しぶりに書いたのに、消えてしまっている。ショック。

昨日、どうにも自分の中で動揺が処理できなかったので、ここに書き込んだのに、それが消えている。また書き直す気にもなれないから、悲しい。

娘がロンドンに行って、二日が過ぎた。昨日の朝メールが来て以来、連絡が無いから心配。メールを待つだけの身というのは、厳しい。

昨晩、ロンドンの学校の授業料の送金がうまく行かず、再度支払う目になったと記し、それも割引のあるパッケージ料金が適用されないようだと書いた。だめ元で学校に失敗したけれど期限までに支払う努力はしたし、今回起きてしまったことは私だけの責任じゃないから、大目に見て欲しい。パッケージ料金を何とか適用して欲しいとの内容で、学校にメールを書いた。事情を理解してくれて、月曜日に残額を現金で支払うようならパッケージ料金でいいとの返事がもらえた。助かった。パッケージ料金じゃないと、更に16万円くらいの出費が重なるところだった。

さて、その旨を娘にメールで伝えたけれど、返事がない。今、ロンドンの夜11時になろうとしてる。でも、メールをチェックしていないみたい。疲れて寝てしまったのならいいけれど、ネットの繋がるユースに帰り着いていないのか。

ロンドンは私も好きな街だし、ここと比べれば治安はいいと言える。でも、大都会だし、何が待ち構えているか分からない。しかも、娘はクレジットカードばかりか、私のキャッシュカードも持ち歩いている。言葉は困らないけれど、土地勘はないし、なれない一人旅だし、サマーキャンプと違って受け入れて世話をしてくれる人がいるわけじゃない。連絡だけはこまめに欲しいんだけれど。

待つ身はつらい。

2012年7月6日金曜日

凹んでます。

はぁ、どうしよう。とんでもないことになってしまった。

発端は6月15日にあわてて送った海外送金の送金指示書の不備。記入したあと不安だったから窓口のお姉さんにちゃんと書けているかどうか確認したんだけれど、彼女はOKと言ったけど、やっぱりだめだった。結局送金は支払期限までに届かなかったばかりじゃなくて、今まだ相手側の銀行が預かっている状態。

その送金は、娘が来週月曜から通うメイクの学校の授業料。今日の12時からオリエンテーションが始まり、ギリギリ12時まで支払いを待ってもらっていた。娘がクレジットカードで払うつもりで行ったら、現金しか受け付けない。海外でも現地通貨引き出せるこちらの銀行のキャッシュカードを持たしたけれど、一日の引き出し上限は3千ドル。足りなかったので、来週分だけ支払ったらしい。残りの二週間分を送金して欲しいとメールが来た。

でも、実は三週間分まとめてパッケージで払った場合と分けた場合では2千ドルくらいちがう。

私の間違いに腹を立てながらも、表面上責めなかった夫も、この大損にはさすがに不機嫌になってしまった。


今回は全てが悪い方向に転がって行った。まず、請求書のメールに娘が気付かず、支払期限前日の午後になって隣の部屋にいた私にメールで、明日までに支払ってと送ってきた。メールを2時半にチェックした私がそのメールを読んで、びっくり。慌てて娘に確認して家を飛び出し、運悪く大渋滞だった中を運転して銀行に着いたのが3時15分。送金指示書の記入も間違えたりして書き直したりして、もう頭が真っ白だった。

送金が届いてないと最初の連絡が来たのが先週。娘が送金指示書の控えをスキャンして相手方に送り、OKとの返事をもらったので、それで済んだと思っていた。ところが、昨日の早朝の便で発つ予定だったその朝(3時ごろ)、学校から送金が届いてないとの連絡が入ったそうだ。とりあえず、娘を空港に送り、帰宅してから指示書をよく見て、前回デポジットを送った際の控えと比べてみたら、抜けているところが一目瞭然。

夫が銀行に問い合わせたら、相手方の銀行で保留にしていて、こちら側の銀行の指示を待っている状態だったらしい。でもこちら側の銀行はそんな連絡は受けていないと夫に返答したらしい。とにかく、今から抜けていた番号等を連絡しても、今日の12時までには届かないということになり、娘がクレジットカードで支払うことにしたら、それもだめということになってしまった。

責任は
1.私。これは認める
2.請求を放っておいた娘。
3.こちら側の銀行の窓口のお姉さん。私の書類をちゃんとチェックしなかった。
4.こちら側の銀行の送金担当者。ヨーロッパ宛の送金に必要な番号が無いことを見逃した。
5.相手側の銀行。本当にこちらの銀行に連絡したのかどうか分からない。
6.学校の経理担当者。手遅れになるまで送金が届いてないことを連絡してこなかった。

こんだけいろんな人のミスが重なっているのに、私だけが責められ、2千ドル近く損させられるなんて。どうしよう。 とりあえず、学校宛にパッケージ料金を適応してくれるよう頼むメールを出したけれど。夫は無駄でしょ!と冷たく言い放っていた。

今年の夏は娘が大学に進学することもあり、ものすごい出費だから、少しでも抑えたいのに、更に2千ドルの出費は、、、はぁ、また今夜も眠れない。

2012年6月8日金曜日

あらら、一ヶ月ぶり

PCとネットの動きが遅いのを理由に、ぜんぜん書いてなかった。この一ヶ月の間にいろんなことが起こったというのに。

一ヶ月間に起こったこと。
まず、娘の三週間にわたったIBの試験が終了。結果は7月の上旬だから、今は終わったぁ!と喜ぶのみ。

試験の終了とともに、大学(アメリカ)へ行く前に片付けておかないといけないことを一つ一つ。

1.健康診断&予防接種---漏れがないつもりで居たのに、罹り付けのアメリカ人の小児科医に行ったら、立て続けに二本注射され、ツベルクリン反応の接種も。全く予想していなかった娘は注射と聞いて蒼白。でも、やるっかない。 3日後の判定でツ反は陰性。 よかった。陰性じゃなかったら、アメリカの場合は9ヶ月間薬を服用し、毎月医師による診断が必要だとか。この結核が蔓延している国で擬陽性にもならずに済んだ。やはり一般大衆とは隔絶した世界に生きているからかしら。ドライバーもいないし。

2.親知らず退治。 昨年11月に歯列矯正する前に撮ったレントゲンに写った四本の親知らず。下顎の二本はしっかり横に寝ている。レントゲン写真を持って口腔外科へ。二本ともまだ埋没しているので、切開して寝ている歯を水平に二つに切って取り出すとのこと。聞いただけでくらくらしそう。でも、きちんとリスクや痛みの強さも丁寧に説明してくれたので、この先生なら大丈夫そうと任せることにした。施術日は卒業式の翌々日の6月1日に。摘出には二本で一時間もかからなかった。先生はずっと話しながら、リラックス・ムードでやっていた。(私は待合室に。でもドアが開いているので、話は筒抜け。)

さて、摘出からもう一週間が過ぎた。まだ刺激すると出血するらしい。痛みは日曜日には痛み止め無しでも平気になったらしい。あと、右側が過敏だったらしく、麻酔を多めにしたところ、やや麻痺が残ってしまった。8月ぐらいまでには消えるだろうとのこと。親知らずを抜く際の麻酔による麻痺は日本でもよく起こることらしい。

3.運転免許取得。これは現在進行中で、長くなるのでまた別の機会に。

これら三つの準備を整えたあと、5月29日に卒業式に臨んだ。

アメリカのドラマ等で見られる卒業式に付き物の、ガウンと帽子を被って、壇上へ。一人一人名前が呼ばれ、高校のディプロマが手渡された。来賓に寄るスピーチなどはなく、オープニングの挨拶(卒業生の一人)、学校長、先生の代表、高校長、総代、だけがスピーチ。188人もいたので、さぞ時間がかかるかと思ったけれど、2時間程度で終わった。最後の帽子投げがやっぱり印象深かった。感慨深いけれど、子供の成長に感動して泣きたくなるような式ではなかった。

この卒業式のあった日の午前中に娘との葛藤がまたあったが、これはまた別の機会に。

さて、運転免許取得のための教習スケジュール以外はまったく予定のない娘。好きな時間に寝て起きる生活。宿題も提出期限もない生活が嬉しくてならないよう。大学が始まったらまた勉強に明け暮れる生活だから、まぁ、今は存分に自由な生活を楽しんで欲しい。



2012年5月5日土曜日

土曜の朝と食費

土曜の朝はいつも公園で開かれる青空市場へ、一週間分の野菜を買いに行く。引越し前は三つあった冷蔵庫が二つになってしまった今、あまり買いだめが出来ないし、面倒くさいので人参ジュースもやめてしまったこともあり、以前ほどは野菜を買いこまない。けれど、新鮮な野菜や果物が豊富だし、面白い物を見つけることもあるしで、とりあえず毎週行くことにしている。

今日の面白い物は、これ。

名前も書いてあったけれど、写真を撮ってこなかったので、分からない。とても大きなお花だった。

今日の買い物は野菜(人参、カラマンシー、ジャガイモ、カモテ、青梗菜、パコ〈青物〉、アスパラガス、スノーピー、ニンニク、パプリカ)と果物(パパイア、バナナ)、グリーク・ヨーグルト、そしてお気に入りのバタースコーンとクロワッサン。これだけ買って、2000円ちょっと。オーガニック野菜とかを買っているから、やや高めかも知れない。

ちなみに野菜はこのほか、日本野菜を毎週オーダーして届けてもらっている。生食可の卵も入れて、それが1000円くらい。そのほかに足りなくなった分をスーパーで買い足したりするので、我家の一週間の野菜代金は3000円ちょっと。このほかに肉・魚・豆腐類、飲み物〈水、ビール、牛乳、野菜ジュース等)、パン、お米などを加えた全食料品代は、今は月5万円くらい。娘がアンチ肉食を始めてから、夕食は魚と豆腐、豆などの食事にしているから、以前と比べて一万円くらい食費が下がったように思う。月5万円の食料品代は果たして高いのか安いのか。ただ、この金額を上回るくらいの外食費があるから、食費として考えると10万円を軽く超えてしまうけれど。三人家族で、熱帯暮らし。日本で暮らしていたら、どれくらいかかっていたのかしら。

2012年4月22日日曜日

あっという間に終わったKL滞在

とても楽しみにしていたKL訪問。娘の試合の応援が目的とはいえ、友人と二人旅。ちょっとわくわくしていた。

娘たちは圧勝して堂々の二位。え?圧勝して二位?と驚かれるかもしれないが、なんせ一位は通年を通してバドミントンを練習している台北・アメリカン・スクール(TAS)。娘の学校をはじめ他の4校も2月の半ばからチームとしての練習を始めているから、太刀打ちできない。

娘たちのチーム(ISM)は他の四校との試合はかなり楽勝だった。2ダブルスと3シングルス、合計5試合をして勝敗を決める。このほかに勝敗には数えられない補欠の試合が一試合。ISMはTAS以外にはほとんど5-0(6-0)もしくは4-1(5-1)ぐらいで勝った。TASも同じような勝ち方。TASに対してはボロ負け。最後の優勝決定戦ではISMのセカンド・ダブルスがTASに対して勝った。TASに対して勝った試合はこれだけ。

娘はファースト・ダブルスだった。ペアの相手は5年生くらいから一緒にバドミントンを楽しんできた仲。相性抜群だったらしい。去年も娘はファースト・ダブルスだったが、去年はペアの相手がとても上手な子で娘は付け足しのように動いていた。それが今年は二人のバランス、強弱がとてもよく、ダブルスの試合の面白さがよく現れた試合だった。

ISMは男女ともに大きな怪我もなくて安心した。試合中に怪我(捻挫)し、悔し泣きしている子もいた。TASのファースト・シングルスの男の子も優勝決定戦の最後に捻挫。でも、彼は戦い抜いて勝利を手にした。その姿に会場の皆が感動。

さて、昼間はほとんど会場となったISKLにいたが、朝や夜にはちょこっとでかけられた。

朝はホテルでは朝食を取らず、大通りを渡って、庶民的なインド系の食堂でRotiにカレー・ソースをつけて食べる毎日。Rotiもソースもこってりしているから、お昼までお腹がすかないほど。





夜はペトロナス・タワー内のショッピングモールやパビリオンという最新モールのフードコートで娘たちチームと食事をしたりして過ごした。ショッピングモール内に入っているお店はフィリピンでなじみの物ばかりだし、高級モールだから特に気を引くものはなかったけれど、伊勢丹の地下など食材が豊富で、マニラ持って帰りたいくらいだった。

友人と私はKLに到着した際にUS100ドルをマレーシアの通貨リンギットに交換しただけで、結局それを使い切って、おしまい。5日間で100ドルしか使わなかった。なんとも吝嗇。


今回の応援旅行での反省点は、娘を構いすぎたこと。もっと応援だけに徹すればよかった。そのつもりでいたけれど、友人がお嬢さんを構うのに引きずられる形になり、せっかく応援に来ているのにもっと何かしてあげたほうがいいのでは?と思うようになって、いろいろ世話を焼いてしまった。挙句、娘に嫌われ、KL滞在中はほとんど口を聞いてもらえなかった。娘の機嫌はマニラの空港から迎えの車に乗ったら直ったけれど、いやな思いをさせたことに違いはない。もうこんな機会はないけれど、今後は気をつけよう。

2012年4月10日火曜日

明日からマレーシア

明日、夕方の便でKLに。KL到着は夜10時過ぎ。空港からホテルまでどうやって行くか、同行する友人と考えていたんだけれど、余りいい方法がない。タクシーはぼったくられるそうなので、乗れない。こうやっている間にネットで検索すればいいんだけれど、なんせ落ち着かないので、こんなことしたり、Facebook覗いたりしている。

ダブルス・ペアの子が明日の学校での集合朝5時半に遅刻しそうなのを娘は心配して、今晩からそのこの家に泊まりに行くことにした。(二人で寝坊したらどうするんだろう) その子は遅刻の常習犯。娘は結構とばっちりを蒙っている。先日はマニラでの他校との試合に遅刻。迎えに来てもらうことになっていた娘は時間になっても来ないので、心配して電話したら、その電話でその子は起きたらしい。そのまま待っていたら間に合わないので、娘はまだ寝ていた夫をたたき起こして、学校に連れて行ってもらったらしい(ちなみに私はもうマーケットに買い物に出ていた)。

で、今晩、娘をその子の家に送って行くわけだけれど、最初は、夕食に出かけるから10時ごろ来てくれ、とのことだったのに、先ほど10時45分くらいにして欲しいと連絡が入ったそうだ。またもスケジュールが遅れている。その子だけでなく、家族みんながそういった時間感覚らしい。フィリピン人!

送りに行くのは、もちろん、夜は運転したくない私と夫。夫が珍しく夕食時にアルコールが入っていないので、運転を頼めたので嬉しい。この連休の間はいつも私が夜娘を迎えに行ったりしていたから。


さて、私も明日夕方四時には家を出て、マレーシアに向かうというのに、まだぜんぜん用意が出来ていない。どうも海外に行くという感じがしない。ちょっと遠出してくるって程度。明日はいつもの手芸仲間との会に出席するつもりだし。 でも、四泊五日だから、それなりに用意しなきゃね。今晩もまたよく眠れなさそう。けど、明日はお弁当いらないとのメッセージが夫から入っていたし、娘を送る必要もないから、朝、7時まで寝てられる。嬉しい!

2012年4月6日金曜日

Vip 待遇のER

水曜日、バドミントン・コートに娘を迎えに行ったら、右足を捻挫したと言う。びっこひきひき帰宅。なのに、お腹がすいたから、フローズン・ヨーグルトを食べたいと言い出し、隣のショッピングモールへすたすたと。ヨーグルトを食べ終え、足首用のサポーターを買いに行き、サポーターを試すため足に触ったら、顔面蒼白。激しい痛みが襲ってきたらしい。さっきまで普通に歩いていたのに、またびっこ。 

医師に診てもらいたいと言い出し、急遽、St. Luke病院のコーディネーター(日本人)に連絡。翌日からイースターでほぼ4〜5連休になるわけだから、前日の夕方にまともに働いている医師もいず、救急外来以外はもう無理と言われ、救急外来に。 

フィリピンでは最新の医療機器を完備しているとの謳い文句の病院。どこもかもぴっかぴか。外国人への対応もぴか一。救急に到着すると、スタッフが待機していて、私は既に記入されている書類にサインするだけ。で、すぐ救急のスタッフが現れ、血圧等の測定をし、娘を車椅子に乗せた。 

行く先は、小児救急外来。ベッドのある可愛らしい柄のカーテンに囲まれた空間に案内され、すぐに小児科医が登場。とりあえずレントゲンを撮らないと分からないからと言われ、すぐレントゲン室へ。結果が出るまでまたベッドのところに戻る。その間、娘は車椅子に乗ってご機嫌。くるくる回ったり、バックしてみたり。同行してくれているスタッフが笑っていた。 

結果が出て、骨には異常なし。軽い捻挫ということで、痛み止めと冷やすよう指示が出て、おしまい。 

全部で一時間ちょっと。請求金額は5千円足らずだった。(うち、自己負担は20%) 

小児救急で待っている間に本当の小児が数人が外来した。娘のように大きい子は来ない。17歳ゆえ、まだ小児科と言われたが、娘も私も場違いな感じで、赤ちゃん柄のカーテンを見たときは思わず笑ってしまい、写真も撮ってしまった。(なんて母親なんでしょ!) 


この病院のシステムのすごいところは、緊急じゃなくても、コーディネーターに連絡して医師を照会・手配してもらうと、待ち時間ゼロ。ずっとスタッフが同行してくれて、全ての手続きを代行してくれ、薬局に薬も取りに行ってくれる。もちろん、私たちが医療保険を持っているからではあるが、他の病院ではこうは行かない。自分で一つ一つ窓口に並んで、順番を待ち、あちこち迷いながら全てを行う。血液検査一つでも2時間くらいは軽くかかる。外国人であろうと保険を持っていなかろうと、同じ待遇。 

だから、この病院の外国人向けサービスは徹底していると思う。病院の医療の質は分からないけれど、瀕死の状況でなければ、外国人はこの病院を選ぶこと間違いなし。きっと他の病院と比べると桁違いに請求学が高いことだろう。 

2012年3月30日金曜日

イチゴ白書の訂正

先ほど書いたイチゴ白書をもう一度の訂正。

イチゴ白書の映画の舞台はNYのコロンビア大学でした。でも、学園紛争はUCバークレー校でも激しかったのは間違いないみたい。

ウィキによると

今日のカリフォルニア大学バークレー校の特徴であるそのリベラルな校風は、1960年代のフリースピーチ・ムーブメント(Free Speech Movement)によって形成されたところが大きい。元来、1950年代のマッカーシズムなど共産主義者差別、赤狩りに対する強硬な抵抗に見られるように、[7]バークレー教授陣のリベラル気質は高く、その内在していた独特の校風が表出したのが1960年代のフリースピーチ・ムーブメントであった。 1962年には政治活動家マリオ・サビオ(Mario Savio)やジャッキー・ゴールドバーク(Jackie Goldberg)などが主導となり、UCバークレー付近でバークレー暴動(Berkeley riots)にまで発展した。[8]1964年に出された、学内での政治活動禁止令に呼応する形で、言論の自由をもとめる学生が抗議運動を展開、その後も学生により活発な学生運動は1970年代初頭まで続き、1969年のPeople's Park に於ける抗議行動では参加した教授陣を解雇したり、学生の一人が死亡するという悲劇も起こった。[9] 現在でもそのリベラル気質は学生に脈々と受け継がれる。しかし、最近ではバークレー校の学生は他の米国一流大学の学生より、リベラルで信仰心が薄いとされている。


だそうだ。


1967年公開の「卒業」の舞台の一つにもなっている。


日本では知名度ゼロに近いMiddlebury Collegeと、超有名校のUCバークレー校、どっちがいいというわけではないけれど。 娘には全く迷いがないようだ。

娘の試験が終わった!朗報続々

昨日、娘の学校の試験が終わった。

今日から春休み。休みが明けて一日だけ学校に行ったら、マレーシア。戻ってきて二週間ちょっと授業を受けたら、もう約三週間のIB試験。終わったら、卒業!もうカウントダウン状態。

米大の一般受験の結果発表が続出する三月末になった。

昨日から今日にかけて、娘の同級生達に朗報が届いているようだ。
ブラウン、ペンシルバニア大、デューク、ニューヨーク大etc

EDで受かってしまったから、娘は合格発表までに受験したUC系列の大学(七校)やカナダの大学に出願を取り消す連絡を出した。UC系列の大学では二校がその連絡に対する返事が無かった。

そうしたら、そのうちの一校からは奨学金つきの合格通知が先月到着。昨日は更に別の奨学金ももらえるとの連絡があった。

もう一つの返事が無かった大学、それがUCバークレー校。めでたく合格してしまった。UCの中での最難関校。11年生の頃はバークレーに行ってくれれば、もうそれでいいとも私たち夫婦は思っていた。日本での知名度も高いし、いい学校のイメージが強いし、あの「イチゴ白書をもう一度」当時の学園紛争でも有名になった名門校。レベルから見ると、娘の進学するMiddlebury College よりも低いけれど、そこに受かったのは、正直嬉しい。

同級生達が一般受験でいい大学に続々合格しているのを聞くと、娘がEDをせずに一般受験をしていたら、いったいどんな結果になったのか、知りたくもある。バークレーに合格したくらいだし、他の子たちがいいところを受かっているから、娘もかなりいい線にいったと思う。でも、Middleburyは無理だったかもしれない。そう考えると、EDで合格したのはベスト・シナリオだったわけだけど。

今晩、明日、あさってとまた朗報が続出するだろう。娘と一緒にずっと勉強し学校生活を送ってきた子達の努力が実ることを祈って止まない。




2012年3月24日土曜日

4月にクアラルンプールへ応援に

娘がバドミントンの試合でクアラルンプールに遠征に行くことが決まった。聖週間明けの水曜日から日曜日まで。リーグを組んでいるインター六校間での試合。

高校最後の遠征試合。もちろん、私は応援に行く。同じ学年のチームメイトのお母さんと一緒に。

昨日、とりあえずフライトの手配。マレーシア航空でなんと往復276ドルで買えた。フィリピンの有名なLCCのセブ・パシフィックよりも安いし、時間も便利。

あとは、ホテルの手配。あまりにも数が多いので、悩んでしまい、昨日は手配できなかった。同行の彼女と相談して週明けくらいには決めなければ。

同じ頃、夫もインドに出張らしい。重ならないといいけれど。愛猫が一人で留守番することになる。
それ以外に夫には悪いけれど、夫が出張中の解放感を味わってみたい。友人たちはご主人が頻繁に出張に出かける。わが夫はめったに出張に出ない。出張中はお弁当作りからも解放されるし。

その一方で、重なるといいとも思う。働いている夫を一人で残して、私だけ娘の試合応援という名目で海外に出かけるという罪悪感が薄まるから。猫にはちょっと寂しい思いはさせちゃうけれど、メイドさんにはちゃんと来てもらうから、日曜日以外は人がいるし。


実は今日も娘は試合だった。一勝一敗。それも二つとも簡単に結果が出るような試合だったらしい。私は恒例の土曜日の朝の買い物に行ってしまったので、覗きにも行かなかったが、娘を学校に送って行った夫はボロ負けだった第一試合は見たらしい。ボロ負けとしか感想を言わなかったので、つまらない試合だったようだ。娘も両方ともつまらない試合だったと言っていた。ボロ負けだった相手に何とか戦えるようになると、マレーシア行きもいっそう楽しみになるのだけれど。

昨年はマニラが舞台だった。ホームでの試合だったということもあり、ISMは三位。娘は当時の12年生の女の子とファースト・ダブルスだった。今年も多分ファースト・ダブルス。パートナーは中学生の頃から一緒にバドミントンを練習してきた子。二人が組むととても息があって安心してみてられるけれど、去年のペアほど強くない気もする。娘が嫌がるからこの頃は練習の様子も見に行かないから、二人がどれだけ上達しているのか全く分からない。そういう意味でも、KLでの試合観戦は楽しみ。

2012年3月12日月曜日

マニラの卒業生、大健闘!

またまた受験の話。

京大経済学部に続いて、一ツ橋大に二人合格。一人は9年生くらいまでマニラにいて、そのあと、日本のインター、そしてイギリスの現地私立高校を卒業。もう一人は娘の学校を昨年卒業した。

ちょっと違うけれど、昨年の卒業生はとても優秀で、有名校ではハーバード大は三人、スタンフォード大も三人、MIT、イエール大に各一人が合格。UCのバークレー校なんて、十人近く合格したらしい。

今年も、コロンビア大、MIT、スタンフォード大、プリンストン大、ペンシルバニア大、そして、娘のミドルベリーと、難関校にEDで合格。そして今徐々に発表になっている中にはカナダ一の名門McGill大に7人くらい受かっているらしい。

日本の友人のお子さん達も健闘しているようだ。

小さい頃から知っているお子さん達が皆さん優秀に育っていっているのを知って、とても嬉しい。いい大学に行くだけが全てじゃないけれど、「親」にとっては、いい大学に入学してくれればいい人生をこの先も歩んでいけそうな気がするし、親としての責任もとりあえず果たした気になる。もちろん、その後も紆余曲折があり、例えば東大を卒業したからって必ずしも幸せになれるわけではないけれど、親としてはなにか基準みたいな物が欲しいから。 大学まで進んでくれれば、後はその子がどうやって生きて行くのかは本人次第だし。

とりあえず、よかった!

2012年3月8日木曜日

京大経済学部、合格


娘を迎えに行ったら、開口一番、「Email見た?」

「見てない」

「Kちゃん、京大合格した!」


もう我がことの様に喜んでました。

一つ年上のKちゃんとの付き合いは娘が四歳になってすぐマニラに来て以来。もう13年以上のお付合い。同じコーチについてテコンドーを練習し、同じときに黒帯を取った。学校は分かれてしまったけれど、私がKちゃんのお母さんとのお付合いを大切にしていることもあり、二人はずっと仲の良い友だちとして育ってきた。

一足先に卒業し、昨年六月に帰国して、一人で寮に住んで受験勉強に励んでいたKちゃん。私立の名門にも合格していたから、その後も悲壮感は漂っていなかったけれど、やはり第一志望受験の前はかなり緊張していたよう。

娘はFacebookやらSkypeでずっと応援していたようで、今日も元気かなとメッセージを入れたら、それが合格発表の数分後だったらしい。すぐに「受かった!」との返事。もう嬉しくて、私や夫に即メールをくれたようだ。(授業中だったのに)

Kちゃんも娘も、第一志望の大学に入ることが出来た。とても嬉しいこと。

マニラ育ちの二人がばらばらになり、この先どういう人生を歩んで行くのか、とても興味がある。二人とも満足の行く大学生活を送って欲しい。

2012年3月4日日曜日

もう三月

ネット環境が整い、やっとネットにはまることが出来るようになった。

気がつけばもう三月だし、引っ越してもう一ヶ月経った。

お母さんが亡くなって帰郷していたメイドさんも明日から戻ってくる。

これで、生活が軌道に乗りそう。


さて、相変わらず退屈な日曜日。片付けも一段落したから、のんびりとネットタイム。

部屋からの写真。


写真では全貌を映しきれないから、今ひとつ。二階、西向きにある私の部屋は午後は灼熱地獄だけれど、眺望と夜景だけは 大満足! 夕方は部屋にいないように工夫しなければなりませんが。


昨日ここのジムに行ってみた。ほんの2,3人しかいない。最新の機器が並んでいたから、ちょっと嬉しい。でも、サウナがないし、タオルとかも持参するしかない。サービスという点ではやっぱりロックウェル・クラブに劣る。でもね、無料。クラブに再入会することも出来るけれど、じゃあ、あそこまで行くかって言うと、ちょっと疑問。ジムからはやっぱりさっと帰って来たい。朝はパワプラ開いてないから外からアクセスするしかないし。

一ヶ月ぶりくらいに運動したら、とても気分がよかった。自分で適当にやっているから、筋肉痛にはならないけれど、やっぱり身体を動かすのは気持ちいい。身体だけじゃなくて、頭も動くようになる気がする。ボケ防止にも運動は大切ね。


もう三月で、娘の卒業式は5月29日だから、学校への送り迎えも三ヶ月足らず。週末やら休日を抜いて考えると、多分一ヵ月半ぐらい。5時半という早起きの日々から解放されるのが嬉しい。

このごろ、歳を取ったなぁと感じるのは、以前よりも早起きがとても苦痛になったこと。夜がよく眠れないことと関係しているのかもしれないけれど。そもそもよく眠れないこと自体が老化現象?


ボケ防止やら老化現象といった言葉が並ぶようじゃ、いけないね。もうちょっと前向きな、面白いことを書かなきゃ。










2012年2月14日火曜日

私の部屋から箱がなくなった!

やっと部屋にあった箱がなくなった。まだまだ入りきらないで、物が床に散らばっているけれど、とりあえず、大きな物の行き場が決まって片付いた。

引越しはいいけれど、片付けはやっぱり嫌い。どこにしまっていいのか、果たして持っていたい物なのか、わからない。処分しちゃいけないのかなと自問するが、判断がつかない。物欲!

蟻がどんどん増えている!キッチンの壁だけだったのが、今朝は引き出しの中をたくさん歩いていた。ぞっとする。

ペストコントロールを頼んで、金曜日に来てもらうことにしたけれど、果たして退治できるのかしら。日本の蟻殺しの薬を置いてみたけれど、運んでいった形跡がない。嫌いなのかしら。

戸棚の中の食品にたかるようになったらどうしよう。今のところ、蜂蜜とかは容器はちゃんと拭いてあるからたかっていないけれど。不愉快!Gよりはいいけれど、不潔という点では一緒よね。


風邪を引いている娘。昨日バドミントンの練習を休んだら、今日コーチにさんざん絞られたらしい。今日だってかなりしんどそうだったのに。がんばれ!


私はひたすら眠い。眠くて気力が続かないから、今日もこれでおしまい。


2012年2月12日日曜日

一週間経った

引っ越して一週間。物のほとんどが納まるべきところに納まった。残るは私の部屋。そして、娘の洋服。

私の部屋は狭くないんだけれど、収納場所が非常に限られている。そして、壁も一面しかない。だから、家具も置けないし、その中身も当然行き場がない。何とか押し込んで、あと箱一つと床に散らばっている行き場のない物たちが残っていると言うところまで片付けた。やれやれ。問題はその残っている物たち。いらない物といえばそれまでなんだけれど、だからってゴミ箱に直行させる気にならない。バイヤーに売れるものでもない。どうしようか。

娘は大量の服が小さなクロゼットに納まるはずもなく、床に開きっぱなしになっているトランク内と、廊下に出してあるハンガーラックにどっさりとある。どうするのかしら。全部大学に持っていけるわけじゃないから、大半はここに残ることになるのよねぇ。クロゼットに入らない以上、廊下に出しっぱなし、もしくは私の部屋においてあるベビーダンスに押し込むことになる。私の洋服だって行き場がないのに。


鬱陶しい片付けのことはさておき、この家の暮らしやすさは?

思っていたほど、暑くない。さすがに晴れている午後は私の部屋(西南向き)は34度は超えていた。でも、狭いからエアコンも効く。

こじんまりしているから、声が通りやすく、「ごはん」コールがしやすい。(ドアが薄い!)

キッチンは狭いけれど、まあまあ使いやすい。なんだか、NZを旅行していたときに泊まった高級B&Bのキッチンみたい。カウンター部分が広いから準備がしやすいし、カウンターの向こうがもう食卓だから、運んだりするのも楽。広ければいいってもんじゃないね。

そしてなんといっても、49・50階からの眺め。所詮マニラだから、美しい!とはいいがたいが、いい気分。以前は眺めが限られていたけれど、ここだと120度ぐらいは見渡せる。

猫ちゃんも階段が気に入ったみたい。私たちが箱やら物やらを持って階段を上がったり下ったりしているのを尻目に、一段に長くなって寝転んでいる。踏みつけられる心配はしてないみたい。もっと神経質になって、隠れ気味になるかと思っていたけれど、引っ越した翌日からもう階段の主のようになってしまった。なじんでくれてよかったけれど。

地下のパーキングはちょっと問題。なんせ縦に二台停めなければならない。朝は私が早く、帰りは夫が遅い。だから、以前のように、私のXtrail、夫のCRVというわけにはいかなくなった。Xtrailには隣のビレッジのステッカーがあり、そのビレッジを通り抜けられる。娘を送る朝には必須だから、とにかく、朝はXtrailが後ろに停めてある必要がある。仕方ないから、娘を送るときはXtrailに乗り、その後夫がXtrailで出勤。昼間、私はCRVを運転して、娘をピックして帰宅したら前に停める。夫が帰宅してXtrailを後ろに停めるということになった。私が運転しているときに、CRVに何か故障が起こらないといいけれど。遠出はしないようにしようっと。

今週は1.佐川に箱を返し、引越し代金を支払う。
     2.バイヤーにはみ出てしまった家具や物を売り払う。
     3.PLDTに電話を繋いでもらう。

これが終われば、引越しプロジェクト終了!



2012年2月3日金曜日

今日から引越し

今日、引越し業者によるパッキングが始まる。

そんな忙しい一日になるのに、4時前に目が覚めてしまった。目が覚めたら、もうどんどんやらなきゃいけないことが頭を駆け巡り、もう眠りに戻れない。昨晩も3時間ちょっと位しか寝ていない。大丈夫かなぁ。

心配、といえば、夫や娘の部屋も心配。自分達によるパッキングがぜんぜん進んでいない。貴重品ですらちゃんとしまったのかどうか、わからない。どうして、着々と作業を進めないのかしら。

前々回の引越しで、娘のIPodが盗まれた。自業自得だった。それに懲りてないのかなぁ。

結局私が走り回って、業者より先にパッキングする羽目に陥る。


昨日、日本人のバイヤーに来てもらった。日本製冷蔵庫(やや難あり)、ベッドのマットレス(Queen & Single)、小物等多数を買ってもらって、約2万円。悪くない。本当は夫や娘の着ない服を追加したいのだけれど、彼らはぜんぜん仕分けてくれない。まったく!


新居へは明日移動。9時に鍵をもらって、こまごました物を持参して、冷蔵庫の中身を移動させ、、、、
はぁ、やること山積み。


2012年1月26日木曜日

売れました!

12月からずっと売れずに悩んでいたビリヤード台。娘の学校で値段を下げても誰からも連絡なし。夫のオフィスのポータル・サイトの「売ります」欄に載せても、誰からの問い合わせもなし。

British School(BSM)にお子さんが通っていらっしゃる友人が、BSMの掲示板にチラシを先週の金曜日に貼ってくれた。そうしたら、連休明けの火曜日の朝、一通のテキスト・メッセージが入ってきて、夕方見に来て、即決。

小切手帳片手に現れた50代白人男性。小学生の息子を連れて現れた。私が一生懸命するセールストークを適当に聞き逃し、ザーッと眺めて「じゃぁ、買う」。どうやって運んだらいいかと聞かれたので、「台のメーカーである、Puyat Sportsが運んでくれるけれど、、、一万ペソかかるの」と言ったら、「OK」。値段の交渉も一切なし。チラシに書いてあった値段そのままでチェックを切ってくれた。

今、そのチェックが無事現金化されるのを待っている。現金化されたら、彼に連絡して、台を運び出すことになる。

売れることが決まった瞬間、もう嬉しくて万歳!したくなってしまった。飛び跳ねたくもなった。じっと我慢して、彼らが帰ったあと、娘の部屋に飛び込んで、報告してしまった。


昨日、水曜日の引越しセールの結果も上々。全部売れたわけじゃないけれど、家具は売れたし、大量にあったガラクタも売れた。私の売り上げは3万円を越えた。

今日は、引越し屋さんが見積もりにやってきた。前回も頼んだところだし、実はそこを利用するのもマニラに来てから四回目。値段もまあまあだし、○通よりもトラブル少なかったし。前回よりもガラクタが減った分、値段が少し下がった。


それにしても、毎日いろんなことが起こったり、いろんなことをこなさなければならないので、もうくったくた。おまけに今朝も四時に目が覚めてしまったり。

引越しが終わったら、少しは私も精神的に落ち着くのかしら。疲れたよ~。

2012年1月18日水曜日

ビリヤード台

今日、今住んでいる家の家具の在庫チェックに、家を紹介したブローカーが現れた。

家のオーナーの家具の写真を一枚一枚撮る入念さ。まるで私たちが家具を転売したのではないかと疑っているようだ。そんな彼らの心配をよそに、我家にはちゃんとオーナーの家具は揃っていたし、壊れてもいない。

そのブローカーは、引越し先の家も紹介してくれた。その会社の顧客となって四件目の家となる。だから、私たちはいいお客さん。ブローカー(女性)はとても感じのいい、話しやすい人で、フィリピン人にしては時間も正確だし、何事もきっちりしている。

で、今日、会うなり、彼女に「ビリヤード台が売れない!」と泣きついてしまった。もう自力では無理。学校に張り紙をし、同じコンドミニアム内にチラシも配り、夫のオフィスのポータルサイトやインターネットの「Buy & Sell」にも載せた。でも、反応がない。元値が立派な高級品だから、もちろん売値も高め。私たちとしては半額くらいでは売りたい。でも、その半額が、中国製の安物の新品より高いのだから、売れなくて当たり前かしら。

ブローカーは、家のオーナーにも聞いてくれたらしい。来週のいつか見に来るらしい。でも、あてには出来ない。他に彼女の住む辺りのビリヤード場にも聞いてくれると言っていたけれど、多分、高すぎてだめだろうなぁ。

日本人の中古品のバイヤーに聞いてみたら、ビリヤード台は運搬するのにばらさないとだめで、手間がかかるから千ペソぐらいと言われてしまった。一桁どころか何十倍も違う。とんでもない!

はぁ、こうしているうちにどんどん日にちが経って行く。引越しまであと二週間ちょっと。

2012年1月17日火曜日

あっという間に、引越しまで三週間足らず

娘が帰宅し、学校が9日に始まったら、なんだか突然忙しくなった。

特に、12日に住み込みのメイドさんが辞め、通いのメイドさんに変わってから、私のゆったりした午後は消えてしまった。通いのメイドさんのシフトは6時半から14時半まで。つまり、娘を連れて帰宅したら、もういないわけ。

夕食の準備から片付けまでを全部自分でしなければならなくなった。大変。料理中から出てくる膨大な洗い物。ちょこっと使ったボールやトレイ、お箸、包丁、まな板、とどんどん出てくる。で、料理が出来盛り付けたら、お鍋にフライパン、お玉、スプーン。食後は食器と炊飯器のお釜やらなんやら。住み込みのメイドさんは一人で毎日こんなに洗い物をしていたんだ、と、今更ながらに感心。

でも、メイドではない私は、もうお手上げ。食事が終わるとくつろぐこともせず、さっさと片付け初め、家族が部屋に入ったあとも一人で黙々と片付け。日本では当たり前の風景かな。

私は日本を1997年に出てから、ずっと住み込みメイドのいる暮らしをしてきたら、かなりきつい。

今晩は夫が食器を洗ってくれたから、片付けが早く終わった。手伝ってくれたのはとても嬉しい。でも、きっと長続きしないだろうな。だから、期待しないようにしよう。

キッチンの片付けを仕上げ、タガイタイで買ってきたタラゴンでお茶を入れ、NHKを見ながら一人でくつろぎタイム。これ、いいかも。ちょこっと甘い物を食べ、ニュースを見る。引っ越す家はもっとテレビが見やすい環境だから、こうやって夕食時の疲れを癒すようにしよう。お気に入りの甘い物を用意したりして。

ところで、引越しの方は、やっと引越し屋さんに見積もりを依頼。そしてガレージ・セールのちらしも作った。あと一週間で値付けをしなければ。売り残しのないよう、いろいろ点検しなければ。

問題はビリヤード台。まだ売れない。売れないどころか、問い合わせもない。やっぱり高いんだよね。どうしよう。困った。叩き売るしかないのかしら。13万ペソ(26万円)で買った物を5万円くらいで売るしかないのだろうか。値段を下げたからって、売れるものかしら。どうしよう、どうしよう。

2012年1月6日金曜日

娘が帰宅

昨晩、娘が帰宅。

実に半月ぶりに家族が揃った。家にいて、家族がこんなに長い間留守というのを味わったのは初めて。夫は毎年6月から7月にかけて、こんな気分を味わっていたのかと思うと、申し訳ない。

今日は娘を連れて、夫のオフィスの建物で用事を済ます。久々に一緒だから、娘も機嫌がいい。

夕食も家族で食事。9時半頃までおしゃべりしていた。こんな三人の時間は、6月以降は稀になるのかと思うと、寂しい。


引越しに伴い、メイドさんを住み込みから通いに変えることにした。申し訳ないけれどと事情を話して、今住み込みで働いているメイドさんに辞めてもらうことを話した。ちょうど住み込みのメイドさんを探している人がいるから、紹介しようかと言ったところ、翌朝、田舎に帰ることにしたと言ってきた。ご主人が海外に出稼ぎに出るから、彼女は働かずに子供たちの面倒をみることにしたらしい。子供は6歳と5歳だそうだ。まだまだ「ママ」がそばにいて欲しい年頃。充分な収入があるのなら、せめて片方の親は側にいたほうがいいと私も思う。ただ、それを簡単に言い切れない、この国の事情があるから、彼女の家族にとって一番いい選択だったってことになるといいんだけれど。


通いのメイドさんは友人の紹介。友人のところで約一年働き、友人がマニラを去るにあたって紹介してもらった。日給が高くてびっくり。でも、仕方ない。それに労働時間もたったの8時間(当たり前か。)。だから、お給料に見合った、仕事をさせなければ。掃除にアイロン掛けだけでは勿体ないし、8時間も仕事がない。やはり夕食の下準備を徹底的にやってもらうようにしよう。それとか、買い物も。様子を見て、朝、マーケットに寄ってきて貰って、魚を買って来てもらおうかな。

時間的には融通がききそうなので、私が帰国しているときでも、夫の夕食を準備・片付けしてもらえそう。普段の仕事が楽なんだから、私が帰国しているときぐらい、がんばってもらおう。それには食事作りを仕込まなければならない。

引越しへの準備を着実に進めなければ。来週、学校が始まったら、スケジュールを具体的に立てて、各所に連絡も取らなきゃ。引越しまであと一ヶ月!

2012年1月1日日曜日

こんにちは、2012年!

新年、明けましておめでとうございます。

今年は誰とも面と向かって言葉を交わすことなく、ネットでのやり取りでの挨拶に終始してしまった。

夫とも娘とも。マニラに一人で残っていたから、仕方ないけれどね。

それと、電話をかけるのが苦手だから、つい、実家や夫の実家にも電話をかけじまい。かかってくれば話すのはぜんぜん苦にならないけれど、かけるのは嫌い。今、アメリカの姉に電話をかけなければと夜の10時(あちらの朝9時)になるのを待っている。

昨晩の、目の前に上がる花火は見事だった。きっと規模からしたら、たいしたことないかもしれない。でも、なんせ、100mも離れていない建物の屋上(部屋から見下ろせる)から上がるのだから、たとえガラス越しでも臨場感満点。煙くもないし。首をずっと上に向けている必要もないから、楽チンだし。

部屋の電気を消して、しばし花火にうっとり。

次の花火はバレンタイン・デー。そのときは49階から見下ろすことになる。だから、目の前の花火は今回が最後。堪能した。


2012年、どんな年になるのかな。

私にとってはとってもチャレンジングな年。まず2月早々の引越し。引っ越す先がなんせ狭い。収納力も今の三分の一ぐらい。今だってクロゼットに入りきらず、いろんな物が部屋の中に出ているのに、どうするんだろう。物を処分するしかないんだけれど。

引越しが落ち着いたら、もう娘の卒業の頃。プロムのドレス探しがあるし、夏のプランも立てなければならない。

そして、夏休み。娘に運転免許を取らせなければならないし、娘の親知らずも抜かなくてはならない。娘は日本でバイトをしたいといっているから、7月上旬には全て終わらす必要がある。

で、8月の終わりには家族で渡米。娘を大学に送りながら旅行する予定。

マニラに戻ってきたら、夫と二人の生活が待っている。18年ぶりの二人の生活。どうなることか。

時間を無駄にしないために、日本語の家庭教師業も再開しようと思っている。とはいうものの、時間を拘束されるのがもういやになってしまっているので、どの程度引き受けるべきなのか、悩むところ。

12月には娘が冬休みで帰ってくるかな。二人がまた日本に帰国するようなら、私はまたお留守番。年越しの花火をまた一人で堪能しよう。

こうやって予測できることを並べてみると、2012年も瞬く間に過ぎてしまいそう。

あ、忘れていた。8月には私の50歳のお誕生日が待っている。もう半世紀生きたことになるんだ。昔は人生50年だったから、私の人生は折り返し地点に来たということかな。

まだ白髪が一本もない私でも、さすがに肌の衰えは年齢相応だから、鏡を見るとうんざりする。今の状態をどれだけ長く保っていけるかが課題。若返ることはありそうもないからね。


2012年、いい年として記憶に残りますように。世界も平和でありますように。