2012年10月8日月曜日

娘の誕生日

初めて娘が不在の娘の誕生日。やっぱり寂しいね。

夫と二人で写真を撮って、お誕生日のカードのようにして夫が娘に送ったらしいけれど、やっぱりメールやネットでのやり取りでは寂しい。

娘と12時間の時差というのはやっぱり辛い。あちらの朝はこちらの夜。娘の都合のいい時間はこちらの夜11時ごろらしい。私はほとんど夢の中。なかなかSkypeもできない。



友人が早い子離れ、親離れがうらやましいような、そうでないようなとのコメントをくれた。

娘を小学校に5歳で入れたときから、覚悟はしていたけれど、たしかに18歳になる前に手元から離してしまったのは、はたしてお互いに取っていいことだったのかどうか。

もちろん、高校からボーディング・スクールとかに行ってしまう子もいるわけで、別に極端に早かったわけではないけれどね。

一人っ子だから、自主自立した女性になって欲しいと願って育ててきた。その通りに育ったようにも思うけれど、親としては寂しいことになってしまったようにも思う。

将来、私たちが老いて、娘の存在を近くに感じたくなったとき、果たして娘は私たちを受け入れてくれるのであろうか。


などと、考えると、じゃあ、私は自分の母を精神的に「近く」感じているのか?

今年82歳になった母を私は今までと同じように突き放しているのではないかしら。どんどん老い先短くなっていく母(たとえ長寿の家系でも)ともっと近い関係を持たなければならないのではないかしら?と、この頃思う。

でも、母とはどうしても性格が合わない。おまけに母と二人の時間など過ごせる状況にない。

いつも他人がうろうろしている実家では、母と昔話に興じることもできない。居心地が悪いので、私も帰郷時でもほとんど家にいないようにしている。姉も然り。

母も寂しいのだろうか。他人でもいいからずっとそばにいて欲しいのだろう。普段、近くにいない私たちが母の普段の生活に文句をつけるわけには行かない。私たちの帰郷時ぐらい遠慮して欲しいとも友人たちに言いづらいのであろう。

ただ、こうして母に近寄らないまま、母が逝ってしまったら、私はやはり後悔するんじゃないかしら。

娘は一人でどんどん育ってゆく。これからは、すこし母に焦点をシフトした方がいいのかもしれない。


娘の誕生日の日に、母と自分の関係を考えてしまうなんて、やっぱり私自身も歳を取った証拠ね。





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