2011年9月29日木曜日

リコーダー練習

今日は、久々のリコーダーの練習日。来週の金曜日に舞台に立つのに、久々とはちょっとずうずうしいかも。

演奏する曲は慣れ親しんだ曲だから、それなりに皆まとまっている。その気の緩みが怖いんだけれど。自己満ではなく、果たして人に聞かせられるレベルに達しているかどうかが気がかり。

腕が痛いので、控えめに練習するつもりだったけれど、テナーを吹くのは私一人。手を抜くわけにも行かず、結局ずっと吹いていたら、やっぱり最後の15分くらいはもう右手の指が動かせないくらいの痛みになってしまった。最後は左指を使う音だけ出していた。困ったもんだ。

発表当日は、たったの二曲だから、問題ないんだけれど、それまで練習しないわけにも行かないし。せいぜいイメージトレーニングだけでもしておこう。

今日のマニラは珍しく 晴れ。運転していてまぶしかった。

2011年9月27日火曜日

台風 Pedring

台風Pedringがルソン島北部を通過するため、今日のマニラも雨模様。学校も昨日の夜連絡があって、休校になってしまった。

娘は友だちの家でプロジェクトをするといって、出かけたっきり。自分で遅く起きたくせに、さんざん私に当り散らして出て行った。フン!

台風の最中、出かける必要もないので、家で片付けたり、マドレーヌに初挑戦したり。

マドレーヌの出来栄えはまあまあ。日本で買ってきたシリコン製のシェル型を使ってみたくて、昨日もお菓子を焼いたのに、また。雨降りで涼しい日はオーブン使うのも楽だし。

片付けもずっとやっていると飽きるから、こうやってついパソコンをいじってしまう。それで、また腕と手首と指が痛い。

ところで、昨日スーパーで呆れてしまった。


だって、まだ9月よ。いくらなんでも。でも、クリスマス・ソングはもうそこら中で流れているらしい。

Mixiでそうつぶやいたら、イギリスのIKEAでも、もうクリスマスの飾りが売られていたそうだ。世界中、どこも不況で、クリスマスを求めているのかしら。

写真を撮りついでにこんな写真も取ってしまった。なんか変よね。

Sushiじゃない。わさびいらない。海苔が小さい。味は酢飯?塩味? 一個50ペソ(100円)て高くない?

ついでにもう一つ。これも、高いよね、この中身で。


2011年9月25日日曜日

せっかくブログ始めたのに

右腕から指にかけて痛みが走るから、ほとんどPCも出来ない。クリックも曲者。指の使いすぎになるのかも。

だから、読書三昧の日々。昨日日本人会で三冊仕入れてきたから、今週も退屈しないで済む。

娘の風邪が今ひとつ抜けず、昨日はほとんど寝ていた娘。今日もお昼に声をかけたら、だるいから外食はいやと言う。仕方ないので、家で明太子・たらこスパゲッティと、かき玉スープ。

魚ばかり食べていると、調理法も決まってきてしまうので、なんだかうんざり。夫も同じらしく、珍しく夕食のメニューを提案してくれた。a.肉なしラザニア b.パエリア  お肉の入らないトマトソースとホワイトソースでラザニア。悪くないけれど、ぺったんこのラザニアになりそうとの結論が出て、パエリアに。

冷凍の貝を買って来て、イカと海老を加えて、作ってみた。結構いい加減に作ったけれど、店でたべるのより美味しいと評判がよかった。ローテーションに加えてもいい!と夫が珍しく言ってた。
ちょっと余るのがいやで、食べつくそうと食べたから、胃にもたれている。オリーブオイル(大さじ2くらい入れたかな)以外はあっさりしているから、すぐ治まると思うけれど。

こうやって調子に乗ってキーボード打っていると、また腕が痛くなるので、この辺で。

娘の風邪、早く治らないかなぁ。

2011年9月18日日曜日

時計の正確さを求めて

夫がこちらで買ったSEIKO5の一つが非常に遅れるからと、保障期間の内に直すと言って、先週、SM Northにある修理受付センター(SEIKOの店)に持っていった。一週間後に取りに来る様言われ、今日、二人で取りに行った。

先週は午後に行ったので、激混みで、人の中を泳ぐように歩いていったので、今日は10時過ぎには家を出た。渋滞もなく20分程度で着いた。

「まだ出来てない」って言われたらどうしよう?とか言っていたら、ちゃんと出来ていた。バランス・ウィールとやらを換えたそうだ。さぁ、これでちゃんと正確に動くかどうかチェックするために、日本のSEIKOと秒針まであわせ、時間をつぶすために、食品の買い物をした。

10分も経たないうちに10秒くらい遅れることが判明。また店に戻り、説明。やれやれといった顔で、修理担当のお兄ちゃんが自分で直すから30分後に戻ってくるよう言われた。

さぁ、このモールで更に30分過ごすのはきつい。

フィリピンのショッピングモールは、基本的にどこのモールに行っても入っている店が同じ。だから、いまさらぶらぶらする気にもならない。仕方ないから、家に電話して娘にお昼は一人で適当に食べてもらうことにして、私たちは食事をして時間をつぶすことにした。ざっと見回して、入りたいお店がない!みんな安価(低レベル)の店ばかり。その中に吉野家を見つけ、他の店よりはまし、味が分かっているからとのことで、二人で牛丼(大盛りだったけれど、もともとが少ない)。着色料たっぷりのアイスティー数種しかないので、二人で水のボトルを買った。

フィリピンでは、吉野家は非常にはやっている。味は日本の吉野家を良く知らない私には分からないけれど、夫いわく、同じようなもの。ご飯がローカル米なので、ちょっとべちゃべちゃ、バラバラしてしまうけれど、まずい中華やピザよりは食べられる。御当地メニューも出てきて、フィリピン人の大好きな海老の天ぷらの入ったお弁当タイプもある。店の作りも、日本を意識した和風。安い(二人で320ペソ)わりには、雰囲気がちょっと違うので、ローカルの中流の人たちには、Japanese!と言って受けているのかもしれない。

さて、時計。取りに行ったら、とりあえず、直っていた。20~30分の間に大きな狂いはなかった。1日単位で遅れるぐらいなら許容範囲と、この国では考えなければならないと思う。それがいやなら、この国で時計を買ってはいけないってこと。

さぁ、明日の朝、夫が何秒遅れたって言うか、楽しみ。

2011年9月17日土曜日

あっという間にまた週末

今週は昨日、学校が休みだったこともあり、あっという間に過ぎてしまった。

両肘が痛くて、PCのキーボードを打つのがだんだん億劫になってきている。なんだか、このままリュウマチ患者のように、痛い痛いを引きずって日々を送って行くのかしら。ゆううつ。

気が付いてみると、もう9月も半ばが過ぎた。二ヶ月足らずでApplyが始まる。私がしなければならないことをしっかりと把握しておかなければ。

今日は、朝、マーケットに行き、帰宅後、ジムへ。Misukに会う。彼女はほぼ毎日ジムに来ているらしい。体型を変えたいらしい。難しいね。でも、毎日来ていると、そのうち変わるよ。

ジムから戻ったらもうお昼の時間。イカとアンチョビのパスタ。それに今日マーケットで買ったカラバオのチーズをトマトに添えた物。カラバオのチーズはちょっと物足りない味。塩をちょっと振り、オリーブオイルをかけたら、まあまあOKの味。

昼食後は夫と一緒に日本人会の図書室へ。本をちょこっと借りて、帰宅。

借りてきたDVD、「さまよう刃」を久々にTVで夫と見た。以前読んだから、大体覚えていたけれど、結末は覚えていなかった。寺尾聡がいい味を出している。いい役者さん。でも、中学生の父の役はちょっと無理があったように思う。ま、年行って出来た子ども、歳の離れた奥さんとの子どもって設定ならいいか。

性犯罪者は犯罪を繰り返すと言う。このストーリーのような事件が起きたら、私もその実行犯を許せないでしょうね。未成年というだけで、厳罰が科せられないのって、甘い気がする。更生する可能性が低い性犯罪者に関しては特に。


DVDを見終わったら、もう5時過ぎ。夕飯の支度。なんだか、週末はいつもご飯作りに追い回されている。

夕食は白身魚のフリッターとレタス、ポテトサラダ、自家製コーンスープ。ご飯のお友に「食べるラー油」。デザートはサゴ(黒蜜、メイプルシロップ、きな粉) 

はぁ、疲れた。

2011年9月14日水曜日

おしゃべりで終わった手芸の会

手が痛いから、今日は手芸の会で何も出来ないと思って行ったら、みんな何もしないでおしゃべりだけで、何もしないで終わってしまった。気の合う仲間だから、おしゃべりも楽しくてOK.。でも、次回はもうちょっと生産的に過ごしたいね。


娘が一番行きたい学校について家族で話していたとき、「その学校はね、スキーゲレンデも凄く近いんだって。凄く近いから、歩けるし、バスでほんの30分なんだって」。このコメント、なんかおかしい。

たとえ雪道を行くバスであろうと、30分かかる場所が歩ける距離なのであろうか。

とにかく田舎にある学校。大学のある町は、もう村といっていいくらい。だから、学生のほとんどが四年間寮生活を送る。親にとっては理想的な場所。誘惑するような危険な場所(盛り場?)が全くないわけだから。もちろん、大学内が100%安全なわけじゃないけれど、大学内の危険はどこの大学に行ったてあるわけだからね。

そこの合否が分かるまでにあと三ヶ月もない。まだアプライもしていないから、取らぬ狸の皮算用だけれど、そこに受かるといいなぁ。でも、難関校だからね。

2011年9月13日火曜日

外側上顆炎?

腕が痛い。もう何をしていても右腕の痛さが頭から離れない。左腕も右ほどじゃないけれど、痛い。

何かするとき、常に痛みが起こらないかどうか、気にするようになってしまった。
冷蔵庫を開けたり、棚から物を取ったり、刻んだり。

パソコンのキーボードを打っていても、右側にかすかな違和感を感じている。

腕が痛い、肘が痛いなどと検索していたら、外側上顆炎という病名にあたった。当てはまる症状がある。でも、ぜんぜん違う症状もある。私の肘はまだ軽傷で発展途上なのか。


でも、もう手芸もやる気がなくなってしまった。明日の手芸の集まりで、私は何をしたらいいのかしら。おしゃべりだけかな。トホホ。

2011年9月12日月曜日

日本人保護者会

娘の学校には日本人がかなりいるので、日本人保護者会なるものが存在する。

加入は任意なので、年々加入者が減ってきているらしい。私が代表を務めていた2004-5年度には80家族以上が加入していたが、名簿を数えたら今年度は62世帯のみ。在学世帯数も減っているのかしら?

今日は今年度の第一回の総会。顔合わせなので、一人一人自己紹介。12年生の親は四人しか来ていなかった。三人の方たちが私より在比年数が長かった。

まだ在比が2,3年くらいの方たちはやはり初々しく感じる。学校歴が5年を超えた方はなんだか誇らしい様子。そんな次期が自分にもあったなぁと懐かしさを感じてしまった。


在比6年目にはいった友人がつい最近、5年働いていたメイドさんを解雇した。料理の上手なメイドさんだったが、態度も大きいし、存在自体が鬱陶しくなってきたそうで、契約を更新しなかったそうだ。で、メイドさんのいない生活を十日ほど送っている彼女が、だんだん疲れてきている。一週間経った頃様子を聞いたら、「うん、何とかなっている、やっていけそう」と言っていたのが、「もう食事作りに追われて、ネイルサロンにもいけない」と。

「この5年間が楽してきたのよ!」とちょっと意地悪い気持ちになってしまった。私はもうその食事作りに追われる日々を13年近く送っている。在比が13年になろうとなんだろうと、相変わらず、ネイルアートも楽しめない、ちょんちょんの、すぐ折れる爪だし。料理をまじめにしていたら、爪は伸びない。

だからって、料理上手なメイドさんを雇う気にもなれないから、自業自得なんだけれど、私の場合。

料理好きだし、娘や夫が「これ美味しいね」と言ってくれるのが嬉しいから、自分で作りたい私。苦労を自分で背負い込んでいる。けれど、これが私。そうじゃないと、家族にとっての、自分の存在理由を失いそうだから。


そういえば、今日は中秋の名月。お団子を作り、ずんだ餡(枝豆)を作って添えてみた。ずんだ餡は改良の余地が多々あり。


2011年9月11日日曜日

パンケーキと「死の町」

昨日の朝、土曜日にしては早起き(9時半)をした娘が、朝食にパンケーキをリクエスト。これから作ったら10分はかかるよと言ったら、じゃ、いらない。

今朝も9時半ごろには起きるかなと思って、私も食べたかったし、久々にパンケーキを作った。やっぱりちゃんと粉・卵・牛乳から作ると、おいしい。

150gの小麦粉で小ぶりのを6枚。ピーナッツバターとメープルシロップをつけて、しっかり二枚食べた。美味しかった!

パンケーキを食べながらNHKを見ていたら、政治討論会の時間。鉢呂経産大臣が辞任した件について話し合っていた。「死の町」発言とか、「ほら、放射能!」って言って服を擦り付けるとか、やっぱり軽率ね。政治家は公の場での発言・言動は本当に慎重にならなきゃいけない。原発周辺の町は確かに人っ子一人いなくて、死んでしまった町のようかもしれない。でも、原発事故のせいで「死なされた町」あるいは「時間を止められた町」なのだから、「死の町」はないね。

10時すぎ、やっと娘も起き、夫も朝食に出てきた。こんな時間に朝ごはん、それもシロップたっぷりのパンケーキ食べると、お昼にお腹すかないのに。私だけが空腹になって、お昼を外でエンジョイしたいのに、二人はきっと、家でお蕎麦くらいでいいと言うに違いない。あぁ、つまらない。

2011年9月10日土曜日

アトピー友だち

昨日、マニラで知り合ったアトピー友達と久々にランチ&お茶。

私が脱ステで苦しんでいた2008年に、彼女と知り合った。年齢が近かったこともあって、今ではすっかり仲良しに。

彼女はお子さんがいらっしゃらないこともあり、自由に日本とマニラ、そして他の国へと行き来している。先月は一ヶ月ほどアメリカに行っていた。妹さんが活躍中の画家。その展示会(at LA)のお手伝い、そして、16年ぶりくらいに東海岸もご主人と回ってこられたそうだ。うらやましい!

例によって、夫同士が同じ機関に勤めているから社内の話題や老後の生活について話したり、話題は尽きない。

お昼をオフィス内のカフェテリアで済ませ、お茶は隣にあるモールのSecreat Recipeで。好みのケーキをオーダーして、2時間ほどおしゃべり。

ここのケーキは地元の店にしてはやや高めだが、Red Ribbonとかに比べて格段美味しい。そして甘すぎない。紅茶とケーキで180ペソほど。美味しかった。見渡した限り、お客さんは全員フィリピン人。一人で入って、ヌードルを食べている人も居た。女性向き?

同じフロアーのその先にあったAlexandreは開店したと思ったら、すぐ閉店してしまった。我家の隣のモールのスーパーに入ってたAlexandreもいつの間にか撤退。Alexandreの胡桃いっぱいのパンが好きだったから、ショック!Fortの本店にまでわざわざ買いに行かなければならなくなってしまった。路駐が出来ない(すぐに捕まる)から、わざわざ30ペソ払ってパーキングに入れて、170ペソぐらいのパンを買う気にはならない。残念。

この国の問題は、この回転の速さかも。あのデリカテッセン&パンのMickeysも8月に閉店してしまった。パン屋さんの方は、Alexandreの後に隣のスーパーに入るらしいけれど。Mickeysのパン屋さんのEnglish Muffinが私は好きだったから、一日も早く開店して欲しい。

お気に入りのパン一つ買うにも、あちこち行かなければならないこの事情。食べ物の買い物で時間がとても取られる。新鮮な魚はドライブ7時間だし。


2011年9月8日木曜日

刺繍、完成!

できました!


縁取りは柵をイメージして茶色に。

腕・手が痛いけれど、もう勢いでやってしまえ!と、仕上げてしまいました。

初作品にしては上出来ねと、自己満。

来週、手芸の仲間に見せたら、母に送ろうっと。

手芸の仲間たち

水曜日はいつも手芸の会。メンバーの家を交代に会場にして集まっている。

気が付いてみると、メンバー全員が夫の勤める組織のスタッフの奥さん達。日本だったら、上下関係もあったり、先輩後輩といった関係もあったりして、その奥さん達が毎週集まっていたら、堪らない会になっていそう。でも、その組織は大きいし、国際機関だから、メンバーの夫が同じ部署ってことがあまりないし、ありがちな上下関係のいやらしさも存在しない。だから、奥さん達も気楽に付き合える。

その組織の本部がここマニラだから、当然、マニラ滞在も長期になってくる。ゆえに抱える問題も共有できるし、付き合いも長く続けていける。そんなわけで、メンバーの中には私との付合いが十年を超える人が二人もいる。日本に居たときは、十年を超えるお付合いをしていた人は高校・大学時代のごく少数の同級生だけ。

以前は皆でパッチワークをしていた。みんな、何かを作ったり、手仕事が好き。でも、パッチワークは時間と手間暇がかかり過ぎて、この頃は誰もやっていない。こちらのバザーに行ったりすると、非常に安くキルトとかが買えちゃったり、注文できたりするから、なお更、やる気が失せてくる。

で、この頃は、それぞれ自分の好きなことをやっている。

私は今、刺繍。母がラップトップのPCを買ったので、使わないときに上に載せておくカバーを作ってあげようと思っている。
                  青木和子さんの「旅の刺繍」からのコピー

30cm×20cmに仕上げる

ちなみに、私のラップトップ・カバーはこちら。
四年前に作ったから、薄汚れて、色もあせてしまった。新調しようかしら。

刺繍は楽しくて、一週間ほどで仕上げようと思っていた。ところが、右肘から指先にかけて痛みだし、ちょっとでも右手を使う作業を続けると、痛みが強まる。右手の使いすぎ?過労?老化?

ギターの練習も出来ないし、手芸も出来ない、料理も刻む作業は辛いし、あぁ、いったい何をしたらいいのかしら。

2011年9月6日火曜日

飲酒・喫煙依存症からの脱却

今朝、学校で飲酒および喫煙等の依存症からの脱却(もしくは防止)についてのスピーチ(by FCD)を聞いてきた。

娘がその道に進むことはないと思うけれど、ここ数年、娘がこのFCD(Freedom from Chemical Dependence)の話をよくしていたので、今年が最後と思い、聞きに行った。

飲酒も喫煙もしない私には関係ないと思って聞いていたが、「なるほど!」と思う点がいくつもあった。

「あぁ、疲れた。ビール(お酒)が飲みたい(飲まなくっちゃ)!」という言葉は子どものいる家庭では禁句だそうだ。”ストレス→飲酒で解消”が子どもの心に刷り込まれてしまうそうだ。毎晩欠かさず飲む夫に注意しておこう。

「周りの皆が飲むから飲まないわけに行かない」 皆って、本当に皆? 調査によると、大学でも高校でも、飲まない人のほうが俄然多いそうだ。

「マリファナは 合法化されている州もあるからタバコより安全」 ではないそうだ。常習性はタバコの方が強いが、脳の発達に与えるダメージはマリファナの方が圧倒的に強い。成長途中にある子どもの脳の成長を阻害する。医療目的等、一定の条件のもとに合法化されているのであって、子どもが自由に吸っていいものではない。

等々、興味深い情報満載。

Q&Aでは、保護者不在時のパーティーでの飲酒問題が浮上したが、パーティー会場に保護者が不在だったら、私は娘を行かせなかった。今日のミーティングに出てくるような親たちはみなそういった警戒を怠ってないだろう。

娘を迎えに行く時間。また、次回。

2011年9月5日月曜日

ギターのレッスン

二ヵ月半ぶりにギターレッスン。

練習不足が顕著。6月に練習していた曲がまだしどろもどろ。

夏休み中に練習しておくと張り切っていたバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」も、ぜんぜん弾けなかった。でも、どの指で弾くかを直してもらったから、練習しやすくなるかな。

手芸のし過ぎ(?)か何かで痛めてしまった右ひじから指までの痛みが、ややぶり返してきた。手芸だけじゃなくて、ギターもできなくなっちゃうの?と不安。また湿布をしておこう。


娘が学校の進学カウンセラーに、東大のPEAKを受験していいかどうか相談してきた。カウンセラーも初めて聞いたわけだから、もちろんNo idea。

日本の大学だから、Target (射程距離内の目標)
国際だから      Safety (いわゆる滑り止め)
15人しか枠がないから、やっぱり Reach? (Reachは、多分無理だけれど、もしかしたら受かるかもという範囲)

カウンセラーもなんとも判断しがたいらしい。 初年度だから、認知度が低いかもね。

娘はとりあえず受験すると言ってるけれど、彼女の中での順位は低いから、受かっても行かない可能性大。東大に受かっちゃったら、是非行ってほしいと思ってしまうのは親の勝手ね。

まぁ、受かるかどうか、全く分からないけれど。

2011年9月4日日曜日

東海岸へ魚を調達に

マニラから三時間半ほど車で行くと、東海岸に出る。

海岸が見えてきたと思うと、程なく、道の左側に魚売り場が出現。



上記は前回行ったときの写真だが、今回は時間が早かったこともあり、様々な魚が売られていた。

肉を食べないことに決めた娘に付き合って、私たち一家は今、夕食には肉類は食べないことにしている。でも、このマニラでは新鮮な魚の調達が大変。しかも、私は背の青い魚のアレルギーに数年前からなってしまっている。

だから、魚を買いに行こうと、わざわざ東海岸まで行ったわけだ。

一週間分くらいの魚を買え!と夫が言うので、マヤマヤ(タイ?)を二匹、ラプラプ、長細い魚を一匹ずつ、大きい海老(マニラで買ったらとても高そう!)を1kg、小エビを500g、イカを1kg 買った。全部で1100ペソ(2200円)。マニラで買うのの1/2~1/3ぐらいだから、ガソリン代が出るかなって感じ。

朝5時半過ぎに出て、12時半前には帰ってこれたから、まあまあ。毎週は行きたくないけれど、たまにはいいね。

でも、魚介類って買って来てからが大変。魚は洗って、個別に容器に入れ、冷凍。海老はひげと足を切り取り、背わたを取って、これも冷凍。イカは腹わたを取り、皮を剥いで、冷凍。1時間半もかかってしまった。(今日はメイドさんもお休み)

さて、今晩のメニューは、小エビの蒸したの(カボス、魚醤、唐辛子添え)、蒸しラプラプ、ほうれん草の胡麻和え、かぼちゃの甘煮、若布とお揚げのお味噌汁。完璧!


2011年9月2日金曜日

東大が「国際」を新設

東大が全部の授業を英語で行う、いわゆる「国際PEAK」コースを教養学部内に新設するというニュースは、日本では8月の初めに既に発表されていたらしいが、娘が友だちに聞いたのが今週初め。

娘が大学で専攻しようかと検討中の環境学がその新設コースの専攻に含まれている。もう一つの専攻は「国際日本研究」。これには全く興味がなさそう。

受験資格は日本語以外の言語で小学校で5年間、中高校で5年間計10年以上の教育を受けていること。

娘はもちろん該当する。

でも、難関。なんせ両コース、各15人ずつしか募集しない。しかも、受験するのは帰国子女ばかりではない。日本で学びたい世界の学生が競争相手。

すっかり受験する気になった娘。果たして、どうなるか。


私としては、、、、 東大は私の父の母校。姉も私も東大には縁がなかった。娘が合格したら、それは嬉しい。でも、正直言うと放射能が心配。それと、果たしてそこを卒業して、どんな将来が待ち受けているのか未知。

去年の今頃まで日本の大学に進むと息巻いていた娘だが、現実的なことを考え出し、進路をアメリカ・カナダの大学に修正した。

理由は、言葉の問題、文化の問題、日本の将来の問題、勉強のレベルの問題、等々。

日本の社会は変わってきているとはいえ、まだまだ男性優位の社会。ただでさえ、帰国子女でちょっと変な娘がその社会で、彼女らしさを失わずに生きていけるのかしら。会社で仕事をちゃんとやっていけるのかしら、と夫ともに心配していたから、「アメリカの大学に行く!」と聞いたとき、ほっとした。日本に帰ってきて欲しいけれど。


だから、この東大のコースは、またまたちょっとした嵐を我家の中で起こしている。

受験生母のブログ開始!

熱帯に暮らして早14年。二カ国目のフィリピンにはもうすぐ13年。長いですねぇ。

最初は仮の暮らしと思って暮らし出したけれど、もう13年も経っちゃうと、これが本物の暮らしなんですよね。今では、年に一度の一時帰国からマニラに戻ってくると、ほっとしちゃったりして。

そろそろ何かこの国で暮らしていたことを思い出せるような何かを残そうと思って、このブログを始めることにしたの。

今年は、四歳でこの国に来た娘の大学受験の年でもあるし。このアジアの片隅の国から、果たしてどこの国の大学に進むことになるのかしら。

8月の初めから学校が再開して、早一ヶ月。二ヵ月後ぐらいにはもう出願書類の提出が始まる。母としては娘の受験にたいして貢献できないけれど、心配だけは人一倍してあげられる(迷惑か?)。

この行き場のない、不安感やドキドキ感、ここに少しでも移すことが出来たらと思う。

受験のことや、日々の暮らしの「あれ?」を記していこう!